不遇が保った最高のオリジナル状態 アルヴィス10/30 隠れたワークス・マシン(2)

公開 : 2023.09.17 17:46  更新 : 2023.09.19 10:53

英国に存在した自動車メーカー、アルヴィス 歴史に刻まれる成果を残した祖先といえる初の量産車 隠れたワークス・マシンを英編集部が紹介

不遇が最高のオリジナル状態を保った

起伏の緩やかな道で、アルヴィス10/30のドライビング体験の中心にあるのは、細いタイヤ。常に進路はソワソワし、路面の凹凸や亀裂へ進路が乱される。絶対的な速度域が低いため、手に汗を握るほどではないけれど。

ブレーキは、リアアクスル側に組まれたドラムのみ。それでも、動力性能を考えれば制動力は充分。減速時に不安を感じることはない。

アルヴィス10/30(1920〜1923年/英国仕様)
アルヴィス10/30(1920〜1923年/英国仕様)

ステアリングホイールの反応はダイレクトで、レシオはスローながら遊びは最小限。小さなボディで大型車に迫る洗練性を与えようとした、アルヴィスの創業者、トーマス・ジョージ・ジョン氏の意志はしっかり10/30で体現されていたといえる。

現代人が運転時に配慮するべきは、クラシカルな4速MT程度といっていいだろう。1920年代に、本物のドライビング体験といえるものを提供していた。

ブルーに塗られた、10/30のモータースポーツ・キャリアはさほど長くなかった。アルヴィスはより高性能なモデルを開発し、1922年9月には売却されている。

しばらく一般道で乗られていたようだが、ダムアイアンと呼ばれるシャシー端部にある部品が破損。1932年以降は、保管された状態にあった。

「不遇が最高の状態を保ちました」。と、アルヴィスのブランドを継いだレッド・トライアングル社の代表を務める、アラン・ストーテ氏は笑顔を浮かべる。シャシーが壊れ、修理する費用を工面できなかったことで、オリジナル状態が残されたと考えている。

コダワリが随所に表れるディティール

裕福な人が乗っていたら、改造が加えられ、どこかの時点で激しい損傷に見舞われていたかもしれない。そのかわり、再生する価値が認められるまで、ガレージで長い眠りについていた。

最初のレストアへ着手されたのは1959年。マイレトン自動車博物館の学芸員に買い取られ、走れる状態が取り戻された。

アルヴィス10/30(1920〜1923年/英国仕様)
アルヴィス10/30(1920〜1923年/英国仕様)

その後、アメリカ人が購入しカリフォルニアへ輸送。ロサンゼルスの高速道路でオーバーヒートを起こし、そのまま約30年間修理を受けることはなかった。

1989年にアランが放置された10/30を発見し、レッド・トライアングル社がレストア。カリフォルニアで明るいイエローに塗られていたボディは、当初の落ち着いたブルーへ塗り替えられた。

とはいえ、ボディカラー以外は、ほぼ1922年当時の状態が保たれていたそうだ。10/30の残存車は4台あると考えられているが、その中でも特にオリジナルへ近いという。

ラジエターの頂部を飾るブルーとグリーンのロゴなど、ディティールにはアルヴィスのコダワリが随所に表れている。後年、アルヴィスはランカスター爆撃機を製造したアブロ社のロゴと似ているという理由で、逆三角形にレッドのロゴへ置き換えた。

ダッシュボードにはアルヴィスではなく、それ以前のT.G.ジョン&カンパニーのロゴが記される。エンジン上部のアルミ製部品も同様。創業初期のモデルであることを物語る。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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