グループ5プロトに続く総合4位 ポルシェ911 カレラRSR 3.0 R7(1) 推定9億円以上

公開 : 2023.10.01 17:45

市販の911をベースに極限の性能が追求されたRSR R7 グループ5プロトタイプへ迫る速さ 1973年のル・マンを戦った1台を英国編集部がご紹介

現在の推定価格は9億円以上

ポルシェ911 カレラRSR 3.0 R7が残した戦績は、一見すると崇拝を集めるほどではないかもしれない。だが、グッドウッドのヒルクライムコースで攻め立てた、このレーシングカーのことを、お伝えしないなどありえない。

このRSR 3.0 R7は、現存しているコンペティション・ポルシェとして、歴史的な重要性が高い1台であることは間違いない。50年前のル・マン24時間レースを完走し、総合4位を勝ち取ったマシンそのものだ。

ポルシェ911 カレラRSR 3.0 R7(1973年式)
ポルシェ911 カレラRSR 3.0 R7(1973年式)

現在の推定価格は、500万ポンド(約9億500万円)以上。その事実を知っているだけに、緊張は最後までほぐれなかった。ワイパーが動かず、撥水剤がフロントガラスに塗ってあるものの、気休めでしかない。しばらく、この記憶が鮮明に蘇ってくるだろう。

このマルティーニ・カラーのRSRには、R7が振られている。ポルシェ自らの手で8台が作られたワークスマシン、「R」の1台で、派手なストライプが与えられたのは4台。現存するのは3台で、R7が最もオリジナル状態へ近くコンディションも良いという。

1973年のル・マンで1位から3位を奪ったのは、F1マシンの延長のようなグループ5のプロトタイプ・レーサーだった。それに続く総合4位という結果が、驚くほどの価値を生んでいる。

基本的には、公道を走るポルシェ911の延長上にあるクルマといえた。1972年にポルシェの会長へ就任したエルンスト・ファーマン氏は、それが重要なポイントだったと、後に振り返っている。

モータースポーツへ理想的な軽いベースモデル

プロトタイプのポルシェ917が1969年から成功を収めていたが、そこへ投じられた費用は明らかに巨大なものだった。公道用モデルの販売へ結びつけるという、重要な役割から距離が空きすぎているとも判断された。

量産車をベースとした1970年代の主力レース、グループ4シリーズの厳しい競争を勝ち抜くには、高い戦闘力を持つマシンが必要だった。かくして、レーシング・スポーツの名を冠した、伝説のカレラRSが導かれた。

ポルシェ911 カレラRSR 3.0 R7(1973年式)
ポルシェ911 カレラRSR 3.0 R7(1973年式)

発表されたのは、1972年10月のパリ・モーターショー。参戦には規定で500台以上の量産が必要とされ、1973年4月までにポルシェはクリアした。

ベースとなった911用2.4L水平対向6気筒エンジンは、2687ccへ拡大。最高出力は213psまで高められ、シャシーや空力特性にも大幅な手が加えられた。モータースポーツへ理想的といえる、軽量なベースモデルが完成していた。

しかし、このRSはポルシェが目指した高みの足がかりに過ぎなかった。彼らの目的を本当に具現化していたのが、カレラRSRだ。

カレラRSは1580台生産されたが、RSRとしてM491のコンバージョン・コードが与えられたのは55台。通常の量産ラインからスチール製ボディシェルが適宜抜き取られ、RSと同じく軽いフロアパンが組み付けられ、サスペンションマウントが強化された。

このR7でも、追加溶接されたプレートを確認できる。それでも、基本的なシャシー構造は911のままともいえた。サスペンションはフロントがストラット式で、リアがセミトレーリングアーム式だ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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