デイビッド・ブラウン1番のお気に入り アストン マーティンDB5 希少なシューティングブレーク(1) 

公開 : 2023.10.08 17:45

英国クラシックGTのアイコン、DB5 11台のみ提供されたシューティングブレーク クーペ、コンバーチブルとともに英国編集部がご紹介

DB5はデイビッド・ブラウン1番のお気に入り

トラクターなどの機械製造で財を成し、1947年にアストン マーティンの経営を引き継いだデイビッド・ブラウン氏。彼が手腕を発揮した約30年間に作られたモデルで、1番のお気に入りは1963年のDB5だったという。

アストン マーティンの技術者たちは、先代のDB4で経験を培い、完成度の高い4シーター・グランドツアラーを生み出した。今から約60年前に。

アストン マーティンDB5 シューティングブレーク(1964〜1965年/英国仕様)
アストン マーティンDB5 シューティングブレーク(1964〜1965年/英国仕様)

実際には、DB4 シリーズ5の改良版といっても嘘ではなかった。DB4 シリーズ6として、ロンドン・モーターショーで発表されていた可能性もゼロではない。

当時の価格は、4200ポンド。英国の平均的な戸建住宅より高く、ジャガーEタイプなら2台を購入できる金額だった。とはいえ、同時期のフェラーリベントレーより、大幅に安くもあった。

1台の製造に費やされた工数は、合計1000時間。それを踏まえれば、お値打ち価格といえたのかもしれない。DB4 シリーズ5から429ポンド値上げされていたが、着色ガラスやツインサーボ・ディスクブレーキなどを獲得しており、妥当な変更といえた。

英国の量産車として初めて、ダイナモではなく現代的なオルタネーターを搭載し、パワーウインドウを標準装備した。洗練されたハンドビルド・モデルとして、特筆すべきアップグレードを得ていた。

4.0Lへ拡大された直6エンジンは286psを発揮

技術的にはキャリーオーバーといえたが、増加した車重に合わせて強化され、信頼性は向上していた。技術者のタデック・マレック氏が設計した直列6気筒エンジンは、3.7Lから4.0L(3995cc)へ拡大。トリプルSUキャブレターで、286psを発揮した。

エンジンは手作業で組み立てられた後、7時間の慣らし運転を経てシャシーに積まれた。ヘッドは、チェーン駆動のダブル・オーバーヘッド・カム(DOHC)。シリンダーボアは96mmで、バランス取りされたクランクシャフトは7枚のベアリングが支えた。

アストン マーティンDB5(1963〜1965年/英国仕様)
アストン マーティンDB5(1963〜1965年/英国仕様)

防錆処理されたシャシーは、ハロルド・ビーチ氏による設計。リアまわりにシートパンが追加され、ドアピラー部分にボックス構造の補強材を与えることで、先代から剛性が大幅に向上していた。

バッテリーは、トランク内からリアシートの下へ移動。燃料タンクが小さくなったものの、当時はBMCミニを1台買えるほどの価格のオプションで、エアコンも指定できた。

ちなみに、オーバードライブ・ギアは72ポンドのオプション。リミテッドスリップ・デフは30ポンド、アームストロング社製のセレクタライド・ダンパーは、14ポンドで装備できた。

リアアクスルは堅牢なリジッドで、トレーリングリンクとワットリンクを最適な位置にレイアウト。アストン マーティンは、操縦性にメリットがあると考えていた。

フロントサスペンションは、ダブルウイッシュボーン。シムを挟み、キャンバー角を調整できた。ステアリングはラックアンドピニオン式で、正確なレスポンスを叶えた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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