デイビッド・ブラウン1番のお気に入り アストン マーティンDB5 希少なシューティングブレーク(1) 

公開 : 2023.10.08 17:45

最速の4シーターと主張されたヴァンテージ

ボディパネルはアルミニウム製。ストレッチフォーミング・プレス機で大まかな形が作られ、職人が手で美しいラインを叩き出した。

仕上がったパネルは、細いパイプ製フレームへリベットで固定された。これは、イタリアのカロッツェリア、トゥーリング社が特許を持つスーパーレッジェーラ構造と呼ばれる。さらにセルロース塗料で19回塗装され、防音処理が施された。

アストン マーティンDB5(1963〜1965年/英国仕様)
アストン マーティンDB5(1963〜1965年/英国仕様)

初期のDB5には静かな自社製の4速MTが搭載されたが、メカノイズの大きいZF社製の5速MTが人気を集めた。オプションでボルグワーナー社製の3速ATも用意されたが、後のDB6と異なり、指定された例は少なかった。

1964年10月には、190ポンド高いDB5 ヴァンテージが登場する。トリプル・ウェーバーキャブレターや専用カムシャフトなどが与えられ、4.0Lエンジンは329psへ強化。最高速度は、通常のDB5では228km/hだったが、241km/hへ上昇した。

アストン マーティンは、DB5 ヴァンテージを世界最速の4シーターだとアピールした。車内空間的には、多少の無理があったとしても。また、時速100マイル(161km/h)から停止までの時間は、6.0秒が主張された。

ただし、当時のモーターマガジン誌が実施した動力性能のテストでは、161km/hまでの加速は、過去2番目のタイムを残している。最高速度も、3番目に留まったようだ。

燃費は6.0km/Lで、この頃の高性能モデルとしては妥当。高速巡航時には7.0km/L以上へ伸び、一度の給油で約600kmを走れた。基本的な点検整備は、約4000km毎が指定されていた。

非常にレアなシューティングブレーク

スタイリングは、燃料フィラー・キャップが追加されているが、BD4 ヴァンテージと大きな違いはナシ。DB4 GT風の、カウリング付きヘッドライトが特徴だった。

ナンバープレート灯とトランクリッドのハンドルは、フォルクスワーゲン・カルマンギアからの流用。 バンパーのオーバーライダーは、フォード・コンサルのものが使われた。だが、それ以外はほぼ自社製。シートフレームも製造していた。

アストン マーティンDB5 コンバーチブル(1964〜1965年/英国仕様)
アストン マーティンDB5 コンバーチブル(1964〜1965年/英国仕様)

1963年から1965年間にラインオフしたDB5は、合計1021台。アストン マーティンの量産車として、歴代最高の成功を掴んだ。1964年の映画「007 ゴールドフィンガー」のヒットが拍車をかけ、1週間に12台以上というハイペースで生産された。

歴代のDBシリーズでの支持を受け、ドロップヘッドクーペ、コンバーチブルも登場。クーペの発表から約1か月後、1963年のパリ・モーターショーでお披露目されているが、納車は1964年5月へ遅れた。英国価格は、4562ポンドからだった。

スチール製ハードトップはオプションで、ソフトトップの収納空間を捻出するため、燃料タンクは両サイドのフェンダー内へ移設。それ以外のメカニズムは、クーペのDB5と同一で、合計123台が作られている。

非常にレアなのが、英国のコーチビルダー、ラドフォード社が手掛けたシューティングブレークだ。アストン マーティンによってデザインされ、裕福なオーナーが狩猟や乗馬スポーツを楽しむために作られたが、DB5の正式なカタログモデルにはならなかった。

この続きは、アストン マーティンDB5 希少なシューティングブレーク(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

アストン マーティンDB5 希少なシューティングブレークの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事