優雅で自信に満ちている アストン マーティンDB5 希少なシューティングブレーク(2)  

公開 : 2023.10.08 17:46

英国クラシックGTのアイコン、DB5 11台のみ提供されたシューティングブレーク クーペ、コンバーチブルとともに英国編集部がご紹介

11台が作られたシューティングブレーク

特別な顧客からの要望を受けて、新車か中古車アストン マーティンDB5をベースに、合計11台のシューティングブレークが提供されている。その内、右ハンドル車が8台を占めた。

複雑なスーパーレッジェーラ構造は、コンバージョンが難しい。フロントガラスから後ろのボディが丸ごと作り直され、2000ポンドの追加費用を要した。

アストン マーティンDB5 シューティングブレーク(1964〜1965年/英国仕様)
アストン マーティンDB5 シューティングブレーク(1964〜1965年/英国仕様)

サスペンションは、リアのスプリングを強化。リアシートを折り畳むと広大な荷室が出現し、当時は世界最速のワゴンと表現して間違いではなかった。

DB5 シューティングブレークへは、滅多にお目にかかれない。英国のアストン マーティン専門ガレージ、ニコラス・ミー&カンパニー社から試乗機会を提案していただいたら、お断りする理由はない。

理想的なことに、同社はDB5のクーペとコンバーチブルも在庫していた。すべて完璧にレストアされ、オリジナル状態にある。何という幸運だろう。

カンバーランド・グレーへ塗られた1965年式は、670台生産された右ハンドルのクーペの1台。当時は最新装備だったエアコンが備わり、トリプルSUキャブレターが載る4.0L直列6気筒エンジンが保たれている。

落ち着いたパシフィック・ブルーのDB5は、81台が作られた右ハンドルのコンバーチブル。30万ポンドを費やしたレストアから、約1600kmしか走っていない。本来の色は、明るいカリビアン・ブルーだったそうだ。

直列6気筒エンジンは、4.2Lへ拡大されている。コニ社製のダンパーへ交換され、ベッカー社製のラジオデッキが組まれている。

美しくも勇ましい 優雅で自信に満ちている

ラドフォード・シューティングブレークのボディカラーは、淡いカリフォルニア・セージ。走行距離は9万5400kmと浅く、ロンドンに住む前オーナーは2011年まで、約40年間も管理してきたそうだ。これまでに、10万ポンド以上の費用が投じられている。

希少なクラシックとはいえ、いずれも6気筒エンジンのスポーツカーとしては驚くほどの価値が生まれている。1970年代初頭の英国では、1000ポンド程度で中古のDB5を探すことができたことも確かで、皮肉を口にしたくなる気持ちも分かる。

アストン マーティンDB5 シューティングブレーク(1964〜1965年/英国仕様)
アストン マーティンDB5 シューティングブレーク(1964〜1965年/英国仕様)

とはいえ、多くの人がこの容姿へ引き込まれるに違いない。美しくも勇ましいスタイリングは、優雅であり自信に満ちている。ジェームズ・ボンドが生んだイメージを超える、カリスマ性を漂わせる。

長いドアを開くと、ヘッドレストを備えた大きなシートが出迎える。クーペはブラック・レザーで、コンバーチブルは綺麗に畳まれたソフトトップのカバーまで、マグノリア・レザーで仕立てられている。

シューティングブレークは、鮮やかなクリムゾン・レッド。カーペットも同じ色でコーディネートされ、クロームメッキのテールゲート・スプリングなど、ディティールにも見入ってしまう。

大きなサイドウインドウを収めるため、給油口はコンバーチブルと同じ場所へ移設されている。一体型のテールライトは、後のDB6 ヴォランテへ流用された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

アストン マーティンDB5 希少なシューティングブレークの前後関係

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