当時は最前線の小型車 ルノー5 同期のホンダ・シビック 日仏で生まれた新たな魅力(1)

公開 : 2023.10.14 17:45

最後まで古びて見えなかったスタイリング

1台2役といえる能力を備えた5は、既存の4や6のユーザーだけでなく、他ブランドのユーザーも効果的に獲得。海外ブランドでありながら、修理や整備費用が安いことも大きな強みになった。

その頃のAUTOCARを読み返すと、「若々しいクルマ。新しいアイデアが輝き、目を楽しませてくれます」。と報じている。「ミニが直面した過去最大の困難」。だと別のメディアは優れた可能性を評価した。

ルノー5 GTL(1972〜85年/英国仕様)
ルノー5 GTL(1972〜85年/英国仕様)

1976年には、上級仕様の5 GTLが登場。1.3Lエンジンに、燃費を伸ばすハイレシオのトランスミッションと、ボディをブラックのサイドモールが覆う、オールラウンド・バンパーが与えられ、人気を後押しした。

1979年にフェイスリフト。新しいダッシュボードが与えられ、実用性を高めた5ドアボディが選べるようになる。そもそも、ルノーは1960年代後半に5ドアボディを検討しており、少々遅すぎる追加ともいえた。

その原因は、プジョー104だった。5の開発が始まった時には104の計画も進行中で、直接的な競合を避けたようだ。そのため、104も1972年に発売されるが、3ドア・ハッチバックが当初は提供されていない。

1981年に1.1Lエンジンが登場。同時に、2代目となるシリーズ2の開発が着手された。フランスでは1984年にモデルチェンジされるが、新しいフィアット・ウーノやプジョー205と並んでも、スタイリングは最後まで古びて見えることはなかった。

ちなみに5 シリーズ2は、1996年までフランス・ブーローニュ=ビヤンクール工場で生産が続いた。イランでは、2000年まで初代の5が作られていた。

現代の厳しい交通へ余裕を持って対応できる

今回ご登場願ったメタリック・ゴールドのルノー5は、1.3LのGTL。近年はすっかり珍しい存在となり、公道では多くの視線を集める。キラキラと陽光を反射する塗装は確かに目立つが、半世紀前を懐かしむ人も多いようだ。

インテリアも、外観に負けずオシャレでモダン。フロントシートはソファーのように上等で、現役の頃は新築のモデルルームへ近い印象を与えたに違いない。

ルノー5 GTL(1972〜85年/英国仕様)
ルノー5 GTL(1972〜85年/英国仕様)

KVX 997Yのナンバーで登録された5 GTLの初代オーナーは、学校の教師だったという。2000年に手放され、このクルマを販売したホッジス・ガレージ社が買い戻している。走行距離は4万kmを過ぎたばかりで、状態は素晴らしい。

ショールームのステージへ飾られても良さそうだが、同社を営むナイジェル・ハラット氏は積極的に運転している。「サンクはとても懐かしい。20代だった頃の記憶が蘇ります。自分が笑顔になれるだけでなく、周囲の反応もうれしいものばかりです」

「殆どの人には、サンクを所有していたという知人がいます。彼らから、そんな話を聞くのも楽しいですね」。ナイジェルが笑みを浮かべて話す。動力性能やブレーキ、ステアリングは、現代の厳しい交通へ余裕を持って対応できるそうだ。

他方、1970年代のモータースポーツ誌が危機感を示したのが、小さな日本車だ。「ライバルへ、正面から向き合うべきでしょう。優れたホンダシビックは、日本の自動車産業が英国へ立ち向かえることを示す1例です」。と伝えている。

この続きは、ルノー5 ホンダ・シビック 日仏で生まれた新たな魅力(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・ロバーツ

    Andrew Roberts

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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