戦後の力強い野心の表れ メルセデス・ベンツ170 S 秘密情報部員が乗ったカブリオレ(2)

公開 : 2023.10.21 17:46

ドイツ復興を牽引したメルセデス・ベンツ170 戦前から引き継がれた先進的な設計 秘密情報部員が乗ったカブリオレを英編集部がご紹介

英国の秘密情報部員がオーナーだった170 S

戦後間もなく、メルセデス・ベンツは乗用車の生産を再開したものの、1951年の時点では戦前の規模へ届いていなかった。ドイツ国内には経済不安が残り、ベルリンの東部を管理下にしていたソ連は、政治的な抗議活動を力で抑制していた。

さらに、再び世界を分断するような冷戦も勃発。資本主義側と共産主義側でのスパイ活動は、徐々に本格化していった。

メルセデス・ベンツ170 S カブリオレB(1949〜1951年/欧州仕様)
メルセデス・ベンツ170 S カブリオレB(1949〜1951年/欧州仕様)

1955年に、メルセデス・ベンツ170 S カブリオレBのオーナーになったのが、英国の秘密情報部、通称「MI6」に所属し暗号解読を任務としていたハワード・グレヴィル氏。ベルリンのウェストエンド地区にあるアパートで、密かに活動していたようだ。

その地区は復興半ばで、市街地はまだ荒廃していた。アパートには、照明や暖房がなかったという。ベルリン東部のオリンピアシュタディオンにMI6の本部は置かれており、そこまでの上質な移動手段として、自らの成功を感じ取っていたかもしれない。

彼は、欧州各地の政府機関を訪れることも多かったようだ。信頼性に優れ高速なクルマは、心強い相棒になったに違いない。有力者が乗るような、クロームメッキで飾られたカブリオレのメルセデス・ベンツは、理想的なモデルといえただろう。

グレヴィルは、第二次大戦後に諜報活動を開始している。ドイツ海軍で暗号解読部門の主任を務めた人物と友人になり、人づてでMI6の職員に採用されたらしい。

自然と誇らしい気持ちが湧いてくる

グレヴィル氏は1956年に英国へ戻るが、この170 S カブリオレBも連れ帰っている。当時の記録によれば、走行距離は8万8000kmに達していたという。

ガソリンが極めて品薄で高額だった時代に、かなりの経費が使われたことになる。さらにいえば、新車時の車両価格は1万2850マルク。ドイツの平均年収の6倍に及ぶ金額だった。富の象徴といえるような高級車は、容赦なく走り込まれたようだ。

メルセデス・ベンツ170 S カブリオレB(1949〜1951年/欧州仕様)
メルセデス・ベンツ170 S カブリオレB(1949〜1951年/欧州仕様)

グレートブリテン島の彼の自宅は、ロンドンから遠くない、南東部のエセックス州ブレントフォードという小さな町にあった。170 S カブリオレBは、SXC 29のナンバーで登録され、1972年まで所有されていたようだ。

その後、次のオーナーが本格的なレストアを開始。20年近くを費やし、現在のようなコレクターズ・コンディションへ仕上げている。

美しいメルセデス・ベンツには、戦後の混沌とした香りはまったくない。現代のベルリンのように、好ましい印象を与えるだけだ。過度に飾られず堂々とした容姿は、ロンドンの市街地へ紛れると、不思議な素朴さすら漂わせる。

町を行く人が、物珍しそうに眺めていく。かつてのグレヴィルも、ベルリンの通りで同じ様な視線を浴びていたかもしれない。ウエストラインは高く、眩しく輝くクロームメッキが縁取る。自然と、誇らしい気持ちが湧いてくる。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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