ランチア・メドゥーサ(1980年)

メドゥーサは、ジョルジェット・ジウジアーロ(1938年生まれ)がデザインした最高のエアロボディを持つ、ミドエンジンのランチア・モンテカルロの派生コンセプトだ。デロリアンDMC-24になる可能性もあったが、デロリアン社が倒産したため、そのアイデアは消えてしまった。

代わりに、このデザインは1982年のランボルギーニ・マルコポーロという別のコンセプトカーにインスピレーションを与えている。

ランチア・メドゥーサ(1980年)
ランチア・メドゥーサ(1980年)

アウディ・スポーツ・クワトロRS 002(1986年)

RS 002は単なるコンセプトカーに終わるはずではなかった。ラリーカーと同じ四輪駆動システムを採用したミドシップクーペで、1987年にグループBに代わって導入予定だったグループS国際モータースポーツレギュレーションのために作られた。

ひどいクラッシュが相次いだため、グループSは廃止され、より生産性の高いグループAが導入されることになった。RS 002は予選を通過するのに十分な台数を製造することができなかったため、1度もラリーに参加することなくプロジェクトは中止された。

アウディ・スポーツ・クワトロRS 002(1986年)
アウディ・スポーツ・クワトロRS 002(1986年)

BMW E1(1991年)

E1は、(19年前の1602 Elektro-Anrtriebのように)既存モデルを流用するのではなく、ゼロから電気自動車を開発するという試みであった。AUTOCARを含むレビュアーたちから好評を博し、1993年にも同様の挑戦が行われた。

これらすべてが興味深いものであったにもかかわらず、すぐに市販車には結びつかなかった。電気自動車のBMW i3が販売店に並ぶのは2013年のことである。

BMW E1(1991年)
BMW E1(1991年)

メルセデス・ベンツF100(1991年)

後のルノー・アヴァンタイムよりも奇妙な外観のF100は、仮に発売されてもおそらく一握りの買い手しかつかなかっただろうが、ポイントはそこではない。重要なのは、ガス放電式ヘッドライト、音声認識、電子式タイヤ空気圧モニター、従来のキーの代わりとなるチップカードなど、実際に市販車に採用することになる新技術を盛り込んだことだ。

F100はまた、差し迫った危険についてドライバーに警告できるようにする計画もあった。ルーフには2平方メートルのソーラーパネルが搭載され、最大100Wの発電が可能とされる。

メルセデス・ベンツF100(1991年)
メルセデス・ベンツF100(1991年)

ルノー・レナステラ(1992年)

パリ近郊にあるディズニーランド・パリに展示されたレナステラ(Reinastella:1930年頃に短期間生産されたルノー車にちなんだ名称)は、2328年のラインナップに追加されると言われる架空のマシンである。

24世紀半ば、レナステラは街中では道路から15cm、郊外では150m上空を飛ぶことができ、最高速度は300km/hに到達するという。しかし、開発中に不幸な事故が起きたと言われている。砂漠での有人飛行テスト中、プロトタイプが墜落し、2人の乗員の体が車体に “吸収” されたそうだ。ルノーはその市販バージョンにおいて、安全上の理由から哺乳類と相性の悪い構造を改良し、人体の同化現象を回避したとされている……。

ルノー・レナステラ(1992年)
ルノー・レナステラ(1992年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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