歴代最速の確かな魅力 フェラーリ500 スーパーファスト 超富裕層のためのグランドツアラー(1)

公開 : 2023.11.04 17:45

フェラーリの節目となった歴代最速のグランドツアラー、500 スーパーファスト 優雅なピニンファリーナ・ボディ 英国編集部が貴重な1台をご紹介

超富裕層のためのグランドツアラー

昔から貧富の差は存在した。エンツォ・フェラーリ氏が開発を進めたフェラーリ500 スーパーファストは、超富裕層のためのグランドツアラーだった。1964年から1966年に、37台が製造されている。

当時で1万1518ポンドという驚くほどの金額は、欲しいと思わせる1つの要因になった。コストより、ステータスを重視する人へ響いたといえる。

フェラーリ500 スーパーファスト(1964〜1966年/英国仕様)
フェラーリ500 スーパーファスト(1964〜1966年/英国仕様)

主な市場は、道路が広くガソリンの安いアメリカ。大排気量エンジンを搭載する、フェラーリの少量生産モデルの節目を刻んだ。

フェラーリは「スーパー」という呼称を、1956年のイタリア・トリノ・モーターショーで発表された、410 スーパーアメリカで始めて使用している。1950年代初頭の340 アメリカや375 アメリカが、そのベースになっていた。

410 スーパーアメリカは、1956年から1959年にかけてシリーズIからシリーズIIIまで提供され、カロッツェリアによる多彩なボディが与えられた。ピニンファリーナの割合が多かったが。

フロント・サスペンションには、まだ新技術といえたコイルスプリングが採用された。エンジンは、技術者のアウレリオ・ランプレディ氏が設計を手掛けた、4692cc V型12気筒。ロングブロックで固定シリンダーヘッドの、ティーポ126ユニットだ。

このユニットは、フェラーリの大排気量グランドツアラーへ繰り返し登用されてきた。しかし、1959年にバトンタッチした400 スーパーアメリカには、ジョアッキーノ・コロンボ氏による3967ccのティーポ163ユニットが搭載されている。

優雅な落ち着きを漂わすハンドビルドのボディ

400 スーパーアメリカのボディは、ピニンファリーナ社がすべて手掛けた。創業者のバッティスタ・ファリーナ氏は、空気抵抗を意識した「エアロディナミコ」というスタイリングのアイデアを、その後のスーパーファストへ向けて洗練させていった。

フェラーリは、ショーモデルを含む48台の400 スーパーアメリカを生産し、満足のゆく成功を掴んだ。主力の量産モデルを数100台というペースで提供し始める中で、エンツォはコーチビルド・モデルの需要もまだ高いと感じたようだ。

フェラーリ500 スーパーファスト(1964〜1966年/英国仕様)
フェラーリ500 スーパーファスト(1964〜1966年/英国仕様)

次期型となるプロトタイプの500 スーパーファストがお披露目されたのは、1964年のスイス・ジュネーブ・モーターショー。メタリックブルーに塗られた2シーターボディには、400 スーパーアメリカの名残があったものの、新鮮な要素も多かった。

テール周りは落ち着いたカーブでまとめられ、カウルの付かないシングル・ヘッドライトがフロントノーズを引き締めた。滑らかなボディサイドには余計な装飾がなく、優雅な落ち着きを漂わせていた。

すべての500 スーパーファストのボディは、個々の注文を受けてから、ピニンファリーナ社の工場で職人が生み出した。だが、特別な要望に合わせたスタイリングの変更は施されなかった。

エアコンやヒーター内臓のリアガラスなど、オプションは複数用意された。丁寧な作業でラインオフまでに4か月を要することは珍しくなく、長い場合は半年へ伸びたという。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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