2台を合体した映画の主人公 ダラック10/12HP スパイカー12/16HP ベテランカー・ランの功績車(1)

公開 : 2023.11.19 17:45

主演はダラック10/12HP 助演はスパイカー12/16HP

他方、スパイカー12/16HPが発見されたのは、ロンドン西部のスクラップヤードだった。1952年より前に、フランク・リース氏によって丁寧なレストアを受けている。

遡ること1905年、ネザーランドの工場でパワートレインを載せた12/16HPのシャシーがラインオフ。ロンドンの代理店へ届けられ、美しいダブルフェートン・ボディが架装されている。

スパイカー12/16HP ダブルフェートン(1904〜1907年)
スパイカー12/16HP ダブルフェートン(1904〜1907年)

この2台を結びつけたのが、南アフリカの映画プロデューサーで監督、ヘンリー・コーネリアス氏。1952年に、ベテランカー・ランを舞台にしたコメディ映画の製作を、主催する英国ベテランカー・クラブ(VCC)へ持ちかけた。

内容が理解され、撮影の承諾は得られたものの、英国ブランドのクルマを中心的に扱うという計画は実現に至らなかった。最終的に、リーブスのダラック10/12HPが主演のクルマに選ばれ、リースのスパイカー12/16HPは助演へ決まったらしい。

この2台で撮影されたのが、映画「ジュヌヴィエーヴ」だ。ダラックには、メーカーの発祥の地、パリへちなんだ名称として、作品のタイトルでもあるジュヌヴィエーヴという愛称が付けられた。

ストーリーは、俳優のジョン・グレッグソン氏とケネス・モア氏が演じる、2人の自動車マニアの交友と、お互いの妻との運命を描いたもの。ロンドンからブライトンまでのレースが展開の軸となるが、喜劇的なライバル関係も見どころの1つだろう。

映画のヒットでベテランカー・ランも人気に

製作費は非常に限定的で、撮影は10日間でこなされた。ベテランカー・ランのシーンには、スタート地点のロンドン・ハイドパークと、ゴール地点のブライトン・マデイラ・ドライブで、1日づつしか割かれていなかった。

それ以外の撮影はロンドンの西に現存する撮影所、パインウッド・スタジオと、その周辺でまかなわれた。それでもコーネリアスは、グリーンバックによる合成は避けた。クルマのレプリカを制作し、低い台車へ載せて走行シーンがカメラに収められた。

ダラック10/12HP ジュヌヴィエーヴ(1904年)
ダラック10/12HP ジュヌヴィエーヴ(1904年)

撮影に関わったクリストファー・チャリス氏によると、俳優のグレッグソンは運転免許を持っていなかったらしい。そもそも、運転の方法すら知らなかったという。

果たして、映画は英国で大ヒット。先出の通り1953年の英国アカデミー賞で最優秀映画賞を受賞する。映画音楽を手掛けたラリー・アドラー氏も、陽気なサウンドトラックが評価され、オスカー候補へノミネートされた。

ただし、コメディ的な要素にイベントを主催するVCC側は皮肉的なコメントを発表している。「映画に描かれた立ち居振る舞いと、実際のクラブメンバーとの類似性があったとしても、クラブ側はそれを否定します」。と。

映画の公開から5か月後、1953年のベテランカー・ランには、その影響が如実に現れた。優れない天候の中、実際に走るダラックとスパイカーを目撃しようと、前例にない大観衆が沿道へ参集。イベントが長期的に継続される、きっかけを作ったといえる。

この続きは、ダラック10/12HP スパイカー12/16HP ベテランカー・ランの功績車(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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