ガヤルドにアヴェンタドール、ウルス ランボルギーニを牽引した男:マウリツィオ・レッジャーニ(2)
公開 : 2023.11.25 09:46
マセラティとブガッティ、ランボルギーニで手腕を発揮したレッジャーニ氏 スーパーカーだけでなく、アウディによる買収も創出 英国編集部が鬼才へインタビュー
ガヤルドからアヴェンタドールへ
1998年にフォルクスワーゲン・グループへ加わったランボルギーニには、ムルシエラゴを開発するための予算が充てがわれた。若きデザイナー、ルク・ドンカーヴォルケ氏の精悍なスタイリングをまとい、2001年に販売が始まった。
一方で、アウディによる買収のきっかけを作った、ジュニア・ランボルギーニの計画は中止。V型10気筒エンジンを新しく設計し、それを搭載するモデルの開発が始まった。
マウリツィオ・レッジャーニ氏が振り返る。「それがピエヒでした。彼は、ランボルギーニには量産エンジンを搭載できないと考えていました」。とはいえ、コストを抑えるため、ガヤルドにはフォルクスワーゲン・グループの部品が少なからず利用された。
2003年の発売からガヤルドは好調に売れ、2012年に生産が終了するまでに、約1万4000台がラインオフ。ランボルギーニがそれまでに生産したすべての台数の、半分以上を占めた。
レッジャーニが最も誇りに感じているモデルが、ムルシエラゴの後継モデル、2011年のアヴェンタドールだ。先進的な技術を数多く盛り込んだ、傑作スーパーカーの1つといえる。彼が最高技術責任者へ就任し、初めて監督したモデルでもある。
「ムルシエラゴのパーツやアイデアを引き継ぐ、安全で簡単な道もありました。しかし、アヴェンタドールは先駆者。イノベーションといえます」
当初の想定の2倍以上が売れる大ヒット
「カーボン製のモノコックに、最高のパッケージングを叶えるプッシュロッド式サスペンションを採用しました。トランスミッションには、2枚のギアを同時に動かし変速時間を短縮する、ISR(インディペンデント・シフティング・ロッド)も組み込んでいます」
「デュアルクラッチ式も選択できましたが、我々の希望より重すぎたといえます。このトランスミッションを取締役会で提案した時、リスクが多すぎるという反応だったことは、今でも忘れません」。とレッジャーニが回想する。
最終的に彼の提案は認められ、アヴェンタドールは2022年までに1万1400台をラインオフ。当初の想定の2倍以上が売れるという、大ヒットのスーパーカーになった。
究極進化系のアヴェンタドール SVJは、2018年にニュルブルクリンク・ノルドシュライフェで量産車最速のラップタイムを記録する。その速さへ貢献したのが、ALA(エアロダイナミカ・ランボルギーニ・アッティーヴァ)と呼ばれるアクティブ・エアロだ。
「開発チームがALAの能力を証明するべく、わたしへテスト結果を見せた時は印象的でした。これはでたらめでしょう。不可能ですよ。と答えてしまったほどです」
画像 ランボルギーニを牽引した男:マウリツィオ・レッジャーニ氏 キャリアで関わったモデル群 最新レヴエルトも 全211枚