VWの資金で磨かれた技術 ランボルギーニ・ディアブロ ムルシエラゴ 歴代4モデルを比較する(2)

公開 : 2023.12.03 17:46

積極的に扱うほどまとまりが出てくる

1993年にはディアブロ SE30、1996年にはロードスターと517psのSV、1996年にはレーシングマシンから影響を受けたGT1やGT2と、次々にアップデートが加えられた。しかし、年間500台という目標には遥かに届かなかった。

1999年にフォルクスワーゲン・グループのアウディランボルギーニを買収。新たな資金で、2000年にフェイスリフトが施されるが、2001年に生産は終了する。

レッドのランボルギーニ・ディアブロと、ホワイトのカウンタック 5000S
レッドのランボルギーニ・ディアブロと、ホワイトのカウンタック 5000S

初期の後輪駆動のディアブロは、制御が難しくスピンしやすいことを知っている。それでも、威圧的なスタイリングが気持ちを高ぶらせる。カウンタックより明らかに大きく、車重は300kgも重い。

シザーズドアの後方には、エアインテークが上下に並ぶ。レッドの塗装と相まって、荒々しい走りを想起させる。

アクセルペダルのストロークは長い。踏み込むと、後方のファイアウォールを打ち破る勢いで、重厚なエンジンノイズがキャビンへ充満する。ギア比は長く、景色が霞むような勢いで加速が続く。

ペダルレイアウトはタイトで、足捌きが難しい。ヒール&トウでシフトダウンを試みれば、頭が興奮で満たされる。積極的に扱うほど、ディアブロはまとまりが出てくる。

ステアリングホイールは重く、ブレーキペダルの感触は不明瞭。しかし、速度が増すほど印象は良くなる。サスペンションも、感心するほどしなやかに動き始める。リアタイヤが、59.0kg-mのトルクをアスファルトへ伝える。

操縦性のバランスはニュートラルで、運転へ惹き込まれる。それでも、挽回できないスピンへの警戒は欠かせない。

新体制でリセットされた次期モデル計画

当時のフォルクスワーゲン・グループのトップ、フェルディナント・ピエヒ氏は、ディアブロを気に入っていたという。2000年のアップデートではスタイリングだけでなく、サスペンションとブレーキも改良。可変バルブタイミング機構も盛り込まれた。

さらに、アウディの幹部がサンタアガタへ常駐。生産性の向上も図られた。ランボルギーニの、次のフェイズの始まりだった。

ランボルギーニ・ムルシエラゴ(2001〜2010年/英国仕様)
ランボルギーニ・ムルシエラゴ(2001〜2010年/英国仕様)

1999年の時点で、ディアブロの後継モデルとなる「P147」の開発は進められていた。しかし、新体制のもとで計画はリセット。インドネシアのメガテック社傘下だった頃までは激動の時代といえたが、新たな資金が未来を切り拓いた。

次期モデルのスタイリングを担当したのは、ディアブロのフェイスリフトも担当したリュック・ドンカーヴォルケ氏。当時34歳という若さだった社内デザイナーの彼は、僅か12か月という時間制限より早く、1999年5月に社内了承を取り付けた。

フロントからリアへ滑らかにカーブを描くサイドシルエットは、カウンタックやディアブロに通じるもの。巨大なエアインテークが、前後で口を開く。ライバルのスーパーカーを時代遅れに見せるほどシンプルで、インパクトがあった。

特徴の1つが、モーターで稼働するサイドのエアインテーク。通常はボディ面と一体で、エンジンが一定の温度へ上昇するか130km/h以上の速度に達すると、自動的に立ち上がり外気を導いた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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