「最悪エンジン」の称号 キャデラック・セビル 可能性を見出した メルセデス300D ディーゼルの高級車(1)

公開 : 2023.12.10 17:45

環境規制が強化され、ディーゼルへ舵を切ったキャデラック 長い経験を積んでいたメルセデス・ベンツ 同時期の高級サルーンを英国編集部が振り返る

ダウンサイジングに希望があった

アメリカのキャデラックは、1970年代後半から不調へ陥っていた。環境負荷や安全性への規制が強化される中で、プレミアム・ブランドの再発明に力が注がれた。

それまで魅力を振りまいていた強力で長大なクルマは、前時代の象徴として見られるようになっていた。欧州から輸入される高級車や、日本から押し寄せる実用車へ取って代わられ、自国を象徴したような威厳は失いつつあった。

マルーンのキャデラック・セビルと、ゴールドのメルセデス・ベンツ300D
マルーンのキャデラック・セビルと、ゴールドのメルセデス・ベンツ300D

キャデラックは、1976年にコンバーチブルを生産しないと発表。アメリカ人へ衝撃を与えた。同時に、ダウンサイジングには希望があった。その前年、1975年に発表された初代セビルは、上品な容姿に優れた操縦性を備え、世界的に高い評価を集めていた。

その頃のメルセデス・ベンツSクラスへ並ぶ成功を収めた、洗練されたサルーンといえた。従来より高い価格へ設定しつつ、歴代で最も小さなモデルを販売するという、巧妙なトリックも軌道へ乗せてみせた。

ゼネラルモーターズ(GM)の幹部は、メルセデス・ベンツやBMWジャガーからセビルへ乗り換えられている事実を喜んだ。しかし、アメリカ政府は更なる規制強化へ動いていた。燃料の消費を一層抑える必要があった。

1978年にアメリカで施行された企業平均燃費(CAFE)規制は、自国で販売されるメーカーの平均燃費を6.4km/Lへ抑えることを求めていた。1984年までに、9.7km/Lへ改善する必要性も定められていた。

企業平均燃費達成のためのディーゼル

この目標を達成できない場合、反則金が課せられただけでなく、追加のガソリン消費税も納めることになった。実際にジャガーは数字へ届かず、CAFEの反則金として当時で500万ポンドを支払い、1600万ポンドの課税が発生している。

キャデラックの答えは、金で何とかするのではなく、GMの新しいEボディ・プラットフォームで次期モデルを開発すること。その結果、1980年の2代目セビルは、1979年の5代目エルドラドと前輪駆動パワートレインとサスペンションを共有した。

キャデラック・セビル(1979〜1986年/欧州仕様)
キャデラック・セビル(1979〜1986年/欧州仕様)

少燃費化の決定打に据えられたアイデアが、ディーゼルエンジンの標準化。オールズモビル・ブランドで1978年に開発された、5.7L V型8気筒ディーゼルが、長いボンネット内へ収まった。ちなみに、初代のモデル末期からオプションに設定されていた。

とはいえ、アメリカではガソリンが安かった。乗用車へディーゼルエンジンを載せるという発想自体が、当時のユーザーには少し異質なものではあった。

メリットは少なくなかった。軽油は安く、燃費も良く、排気ガス規制の対象から外れていた。シボレーポンティアックに並んで、キャデラックも採用することで、CAFEの平均値を比較的容易に下げることが可能だと見込まれた。

一方で、GMの財布の紐も硬かった。技術者には新規開発が認められず、コンベンショナルな350cu.in(5.7L)のV8スモールブロックを、ディーゼルへ変更する方法が取られた。軽油を圧縮点火させるため、シリンダーブロックは補強された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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