マクラーレン広島が新規オープン 国内6店舗目は西日本の地理的中心地 背景を聞いた

公開 : 2023.12.05 17:45

マクラーレンは日本国内で6店舗目となる正規Dを広島に開設しました。運営母体となるのは神戸を本拠地としてきたジーライオン・グループです。マクラーレンとジーライオン・グループ代表に直接話を聞きました。

マクラーレン広島がオープン

12月2日、日本国内では6店舗目となるマクラーレンの正規ディーラーが広島にオープンした。

西日本のマクラーレン正規ディーラーといえば、これまでは大阪と福岡にショールームを構えていたが、マクラーレン広島は、いわば地理的にその間を埋める形でとなる。これまでマクラーレン大阪ないしマクラーレン福岡まで足を伸ばしていた中国地方のファンにとっては、利便性が大きく向上することになる。

マクラーレン広島が新規オープン
マクラーレン広島が新規オープン    マクラーレン

新たにオープンするマクラーレン広島の運営母体は、神戸を本拠地として自動車販売を営んできたジーライオン・グループだ。西日本を中心に252店舗を構える同グループは、すでに17の輸入車ブランドを取り扱っており、マクラーレンと同じラグジュアリーブランドも幅広く手がけている。マクラーレンの取り扱いは今回が初めてとなるが、その実績と規模は申し分ないといえるだろう。

運営母体はジーライオン・グループ

マクラーレン広島のオープンを控え、ジーライオン・グループはGLブリティッシュという新会社を設立した。その代表取締役に内山高寿氏を据えた。これまでにもジーライオン・グループで自動車販売の経験を積んできたとはいえ、39歳の内山氏を代表に据えるのは大抜擢といって差し支えない。

オープンを直前に控えたショールームで、マクラーレン・ジャパンの代表である正本嘉宏氏と内山氏のふたりにインタビューを行った。

マクラーレン広島が新規オープン
マクラーレン広島が新規オープン    マクラーレン

まず、ジーライオン・グループとともにマクラーレン広島をオープンさせることになった経緯を、正本氏は次のように説明した。
「今回は広島に出店する可能性をいろいろと探っていたところ、ジーライオンさんから『是非、やらせて欲しい』というお話しをいただき、そこから様々な交渉を経て、オープンすることが決まりました」

つまり、マクラーレン・ジャパンは広島を中心とするエリアに大きな期待を寄せていたことになる。正本氏が語る。

「すでに広島には、スーパースポーツカーのブランドがすべて出揃っています。また、広島在住で、これまでマクラーレン大阪やマクラーレン福岡でご購入いただいたお客さまがいらっしゃることも把握していましたので、ジーライオンさんにはその辺を考慮していただいたうえで出店を検討していただきました」

新店舗はマクラーレンの最新CIを採用したショールーム

マクラーレン広島は広島市街から車で20分ほどの、瀬戸内海を臨むエリアにある。

「この周辺は自動車ディーラー街で、2km圏内にラグジュアリー・ブランドのショールームが複数ございます」と内山氏。「市街地からは少し離れていますが、おかげで余裕あるスペースを確保し、ショールームとサービス工場を併設することができました。また、ショールームの2階では認定中古車のクォリファイドも展示しています」

マクラーレン広島が新規オープン
マクラーレン広島が新規オープン    マクラーレン

いいかえれば、マクラーレン広島を訪れれば、新車並びに中古車の購入、さらにはメンテナンスまでがワンストップで体験できることになる。ここまで多くの機能を集約したマクラーレンのショールームは、日本中を探してもそう多くないそうだ。

「マクラーレンの最新CIを採用したショールームには広々としたミーティングルームをご用意し、お客さまとのコミュニケーションを深めるとともに、様々なご提案を申し上げられるような作りとしました」と内山氏。

ちなみにマクラーレン広島は4階建てで、のべ床面積は4000m2。屋上にある駐車場へはマクラーレンのようなスーパースポーツカーでもアクセス可能というから便利だ。

「私自身、マクラーレンは乗って初めて、その楽しさがわかるスポーツカーであると理解しています」内山氏が続ける。

「当グループでは輸入車17ブランドを扱っており、長年たくさんのお客さまにご利用いただいています。今後はそういったお客さまにもマクラーレンの魅力を広くお伝えし、多くのお客さまにお買い求めいただけるように努力をしていくつもりです」

さらにはマクラーレン広島独自のイベントを行うことも検討中という。

「ここからですと岡山国際サーキットが遠くないので、将来的にはサーキットイベントも開催したいと考えています」

中国地方在住のマクラーレン・ファンにとっては、実に心強い存在が誕生したといえそうだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 編集

    AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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