「ツインカムのクーペ」を選ぶなら? アルファ・ロメオ2000 GTV x フォード・コルティナ II ロータス(1)

公開 : 2023.12.17 17:45

1970年代にしのぎを削った、アルファ・ロメオとフォードxロータスのクーペ 英国では倍の価格差にあった2台 英国編集部が比較試乗で魅力を振り返る

多様な選択肢が揃っていた1960年代の英国

1960年代末を生きるカーマニアが、ヒルクライム・レースを有利に戦おうと考えた時、トライアンフ・スピットファイアにTVR 1800、オースチンヒーレー・スプライト、ジャガー Eタイプ、どのマシンを選ぶべきか大いに悩んだことだろう。

ポルシェ911という強力で高価なドイツ勢がいたものの、英国には多様な選択肢が揃っていた。その頃、グレートブリテン島の公道を走る輸入車は、全体の10%程度。コース上に限らず、今では羨むような競演をそこかしこで目撃できた。

ホワイトのフォード・コルティナ II ロータスと、アイボリーのアルファ・ロメオ2000 GTV
ホワイトのフォード・コルティナ II ロータスと、アイボリーのアルファ・ロメオ2000 GTV

それでも、徐々に英国勢のアドバンテージは薄れていた。1966年のフォード・コルティナ II ロータスが強い輝きを放っていたが、1963年のアルファ・ロメオ1600ジュリア・スプリントGTが頭角を現していた。

1967年には、1750 GTVへ進化。優勝トロフィーを、イタリア勢が奪う回数は増えていった。とはいえ、労働者階級の駿馬、コルティナ II ロータスが魅力的な存在だったことに変わりない。

価格差は小さくなく、ジュリアを選べる人は限られた。アルファ・ロメオには多様な種類が存在したが、概してコルティナ II ロータスの2倍近い予算が必要だった。その金額に見合う価値があるのか、という疑問も当時から存在してきた。

そんな折り、この2台が1つのクラシックカー・ガレージで販売されているのを発見。半世紀以上が経過した2023年に、再び競わせる機会が叶った。

ジウジアーロが描き出した美貌

アルファ・ロメオのマニア、アルフィスタなら、アイボリーのクルマが1750 GTVではないことへお気づきかもしれない。正しくは、1971年に入れ替わった2000 GTVだ。

確かに排気量は拡大されているものの、プラットフォームは4ドアサルーンのジュリアがベースで、1750 GTVの延長上にある。素性に大きな変化はなく、コルティナ II ロータスの比較相手として間違いではないだろう。

アルファ・ロメオ2000 GTV(1971〜1976年/英国仕様)
アルファ・ロメオ2000 GTV(1971〜1976年/英国仕様)

2000 GTVのスタイリングは、1963年の1600ジュリア・スプリントGTに起源がある。カロッツェリアのベルトーネ社に在籍していた、ジョルジェット・ジウジアーロ氏が描き出した美貌には、1960年の2000スプリントの色香が残る。

1966年にスプリントGTV(Vはヴェローチェの略)へ進化し、1967年に1750 GTVへアップデート。直列4気筒エンジンが1570ccから1779ccへ大きくなり、ボンネット前端のギャップ、「ステップフロント」は廃止され、滑らかな顔つきになっている。

インテリアも一新され、ドライバーの正面には大きなスピードメーターとタコメーターが並んだ。シャシーにも改良が加えられ、リアアクスルにアンチロールバーを獲得。ブレーキにはデュアルサーキットが与えられた。

今回ご登場願った2000 GTVはその最終進化版といえ、エンジンはボアアップで1962ccに。最高出力は13ps増しの132psへ向上。最大トルクは18.5kg-mを発揮する。

最高速度は、1750 GTVより高い193km/h。0-97km/h加速は、11.2秒から9.2秒へ2秒も縮めていた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

アルファ・ロメオ2000 GTV x フォード・コルティナ II ロータスの前後関係

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