ロータリーエンジンの栄枯盛衰 名車・珍車36選 前編 メーカー各社の挑戦

公開 : 2023.12.17 18:05

マツダ・コスモスポーツ

マツダほどロータリーエンジンに熱心なメーカーは他にない。マツダは1964年の東京モーターショーに初のロータリー車(そして初のスポーツモデル)を出展したが、ツインローターの扱いは困難を極めた。マツダが新しいシールを開発して初めて、ローターがケーシングに「悪魔の爪痕」と呼ばれる傷をつけることはなくなった。

NSUスパイダーよりもはるかにパワフルなコスモスポーツは、1967年5月に満を持して発売された。1968年の改良では、さらなる出力向上をはじめとする手直しが施され、1972年まで生産が続けられた。

マツダ・コスモスポーツ
マツダ・コスモスポーツ

NSU Ro 80

コスモスポーツが市場投入された数か月後、NSUは世界で初めて “2台目” のロータリー車を生産するメーカーとなった。Ro80は、たとえ従来型エンジンを積んでいたとしても、そのルックス、空力効率、全輪ディスクブレーキと独立サスペンション、握ることでクラッチ操作できるシフトノブなど、1967年当時の乗用車としてはすべてが常軌を逸していた。

ロータリーエンジンも当初は注目されたが、1973年の世界的な石油危機と有害な排気ガスに対する意識の高まりにより、存在感は大きく低下した。初期の信頼性の低さも追い打ちをかけることになった。信頼性の問題はすぐに解決されたが、Ro80の評判が回復することはなかった。最終的に、NSUはフォルクスワーゲンに二束三文で買収された。

NSU Ro 80
NSU Ro 80

マツダ・ファミリア・ロータリークーペ/R100

コスモスポーツが大量に売れる見込みはなかったため、マツダはよりオーソドックスなモデルを導入する必要があると考えた。1967年にピストンエンジンを搭載して登場した2代目ファミリアにロータリーを追加し、1968年に投入したのだ。

日本以外ではあまり知られていなかったが、1970年6月からマツダが初めて北米に輸出したクルマだったこともあり、ファミリア・ロータリークーペ(海外ではR100と呼ばれる)の知名度は世界的に高まることになった。

マツダ・ファミリア・ロータリークーペ/R100
マツダ・ファミリア・ロータリークーペ/R100

マツダ・ルーチェ・ロータリークーペR130

「ルーチェ」という名は、1966年から1991年まで生産された、ピストンエンジンとロータリーエンジンを搭載する複数のクルマに与えられている。1969年に発売されたルーチェ・ロータリークーペ(輸出名:R130)は、その中でも異端児だった。

ベルトーネがデザインした美しいクーペボディに、ロータリーエンジンを搭載する同社初の前輪駆動車である。後述のMX-30 eスカイアクティブR-EVが登場するまで、このようなレイアウトを採用するのはマツダのロータリー車の中でルーチェ・ロータリークーペが唯一であった。

マツダ・ルーチェ・ロータリークーペR130
マツダ・ルーチェ・ロータリークーペR130

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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