レゴからグランツーリスモ3まで 自動車ライターを「クルマ好き」にしたおもちゃ達

公開 : 2023.12.26 18:25  更新 : 2024.10.25 08:59

レゴ

レゴは世界最大のタイヤメーカーだ。確かに非常に小さなタイヤだが、それでもタイヤであることに違いはない。

それは、僕を含め多くの人々が、ブロック状のピースと自由な想像力だけを使って、思い思いにクルマを作るという成長期を過ごしたからだ。

子どもの頃は、レゴの四角いブロックとタイヤで思い思いのクルマを作った
子どもの頃は、レゴの四角いブロックとタイヤで思い思いのクルマを作った

誤解のないように言っておくと、ここで触れているのは最新の自動車メーカーの正規ライセンス品ではない。昔は、一般的な「シティ」セットのクルマで我慢するか、ピースのマルチパックを買って自分で作るしかなかった。

僕はそれが大好きだった。ブロックでおもちゃのクルマを作る僕の能力が、現実世界のエンジニアリングの領域にまで及んでいたらなぁ……。

(ジェームズ・アットウッド)

コリン・マクレー ザ・ラリー(プレイステーション)

子供の頃って最高だったよね。父の親友が、僕を見るたびにキツく巻いた20ポンド札を僕の手にブン投げていた時期があった。

それで必然的に近所のゲームショップに行くと、ある時20ポンドに値下げされたプレイステーション用ゲーム『コリン・マクレー ザ・ラリー(Colin McRae The Rally)』に出会った。

『コリン・マクレー ザ・ラリー』で一番思い出に残っているスコダ・フェリシア
『コリン・マクレー ザ・ラリー』で一番思い出に残っているスコダ・フェリシア

僕はこのゲームに何時間も何時間も費やした。ほとんどの人が「555」のリボンをつけたインプレッサを懐かしむけれど、不思議なことに僕の一番の思い出は、駐車場をスコダ・フェリシアで走り回るラリースクールだった。

(マレー・スカリオン)

ラジコンのスバルWRX STi

実際にはそうではなかったと思うが、僕の記憶では最高速度50km/hで走れた。スケールダウンした50km/hではなく、リアルな50km/hだ。

世界ラリー選手権(WRC)にちょっと興味を示しただけの10歳の子どもには、とんでもなく速くて、ちょっと本格的過ぎたかもしれない。それでも楽しい時間を過ごした。

フェリックス・ペイジのラジコンカー
フェリックス・ペイジのラジコンカー

ジョイスティックではなくトリガーコントローラーがついていて、つまり大人のラジコンカーだったわけだ。何センチも動くサスペンションと、(記憶では)かなり本格的なタイヤも装備していた。

砂利の駐車場でWRC映像のお気に入りのシーンを再現しようとしたものだ。そのときの僕の映像がなくて、本当に良かったと思う。

(フェリックス・ペイジ)

グランツーリスモ3(プレイステーション2)

『グランツーリスモ3(Gran Turismo 3)』が英国で発売されたとき、僕は言葉を失った。その素晴らしいグラフィックや忠実に再現されたハンドリングのせい……ではなく、文字通り話すことが出来なかったからだ。

生後わずか14か月の僕は、話すことも歩くこともできなかったが、父のプレイステーション2のメニュー画面を親指でなぞるくらいはできた。

『グランツーリスモ3』カバー(US)
『グランツーリスモ3』カバー(US)

アストン マーティンヴァンキッシュパガーニ・ゾンダ、さらにはリスター・ストームなど、2001年当時入手可能だった最高級のマシンを紹介するそのメニュー画面は、なんと楽しかったことか。

『GT3』のおかげで、僕は家族の名前を覚える前に、街でクルマのメーカーやモデルを指差していたのだ。それは、クルマに生涯夢中になる、最初の決定的なきっかけだった。

(チャーリー・マーティン)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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