世界を変えたフォード 覚えておきたい偉大な名車 49選 後編

公開 : 2024.01.03 18:25

フォード・グラナダ(1972年)

欧州における初代グラナダは1972年に登場し、2.5Lと3.0LのエセックスV6(後に、より強力なケルンV6に変更)など、普遍的なエンジンが用意された。2世代にわたって生産され、1981年には大規模なフェイスリフトを受け、2.8iギア・エグゼクティブが誕生した。

2.8iギア・エグゼクティブは上級管理職向けの社用車として人気を集め、一時期は企業の駐車場を支配していた。ドイツの高級車ブランドが席巻する前の時代、欧州のビジネスパーソンが憧れていたのがこのクルマだ。

フォード・グラナダ(1972年)
フォード・グラナダ(1972年)

フォード・カプリRS3100(1973年)

ここでは説明しきれないほど複雑な理由から、欧州フォードがツーリングカーレースで成功するためには、エンジン排気量が3.0Lを超える市販車を持つことが重要だった。5.0Lの「ペラーナ」を除くと、最もパワフルなエンジンはエセックスV6だが、排気量がわずかに及ばない。そこでボアをわずかに拡大し、排気量を3.1L弱まで引き上げた。

これにより、フォードはカプリのレース仕様に3.4LのコスワースGAエンジンを搭載できるようになった。公道走行可能なバージョンとしてRS3100がごく少数生産され、現在ではその希少性と性能から高く評価されている。

フォード・カプリRS3100(1973年)
フォード・カプリRS3100(1973年)

フォードF-150(1975年)

Fシリーズの始まりは先述の通り1948年に遡るが、F-150の名が初めて登場したのは1975年の第6世代である。当時のF-150はF-100に似ていたが、車両総重量が6000ポンド(2727kg)強とやや大きく、実用的だった。

重要なのは、触媒コンバーターを装備する必要がなく、また無鉛ガソリンを使用する必要もないということだ。このような要因が重なり、F-150は瞬く間にヒットモデルとなった。

フォードF-150(1975年)
フォードF-150(1975年)

フォード・エスコート(1975年)

初代エスコートはすべて英国フォードの作品であるが、第2世代はドイツ・フォードとの共同開発であった。両車にメカニズム的な違いはほとんどないが、後期型は外観が大きく異なり、後席の足元スペースが広く、窓も大きくなっている。

1976年、エスコートは英国でベストセラー車に輝いた。コルチナが第3世代から第4世代への移行期であったことも要因だが、それでも快挙と言える。初代と同様、RS2000やメキシコのようなスポーティなバージョンもあった。

フォード・エスコート(1975年)
フォード・エスコート(1975年)

フォード・エスコートRS1800(1975年)

RS1800はコスワースBDシリーズを搭載しており、標準仕様では1.8Lだが、最大2.0Lに拡大可能だった。もちろん、その意図はラリーでの活躍を支えることにある。案の定、1979年の世界ラリー選手権で初優勝したビョルン・ワルデガルド(1943-2014)は、同シーズンのほとんどの大会でRS1800をドライブした。アリ・バタネン(1952年生まれ)も、エスコート生産終了の2年後に同じことをやってのけた。

登場から半世紀近く経った今でも、RS1800は最もエキサイティングなラリーカーの1台として評価されている。多くの車両が現役であることからも、その人気の高さがうかがえる。

フォード・エスコートRS1800(1975年)
フォード・エスコートRS1800(1975年)

記事に関わった人々

  • AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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