思わず言葉を失った意外過ぎるクルマ 40選 前編 どうしてこんなコトを…
公開 : 2024.01.02 18:05
クライスラー・エアフロー(1934年)
クライスラーは1920年代に従来型の自動車を作り始めたが、その後の10年間で世間からの評判をひっくり返した。エアフローのユニボディ構造は、1934年当時としては非常に珍しく、さらに流線型のフォルムは賛否が激しく分かれるところとなった。
大胆で冒険的なスタイリングが大きな要因だが、それがトーンダウンした後も、完全に受け入れられることはなかった。クライスラーは自動車エアロダイナミクスのパイオニアであったが、その先進性に時代が追いつかなかった。エアフローの後の市販車では、はるかに慎重なデザインを採用している。
シトロエン・トラクシオン・アバン(1934年)
トラクシオン・アバンは前項のクライスラー・エアフローのような流線型ではなかったが、ユニボディ構造を採用し、前輪駆動、油圧ブレーキ、独立フロントサスペンションなど斬新な機構を備えている。シトロエン史上最もワイルドな1台であり、1957年まで生産された。
にもかかわらず、シトロエンの冒険は少なくとも短期的には報われなかった。トラクシオン・アバンの開発費と新工場の建設費があまりにも高額だったため、シトロエンは経営破綻し、1935年に大手タイヤメーカーであるミシュランに救済される羽目になった。
エドセル(1958年)
フォードは19年間で1500万台のモデルT(T型フォード)を生産して世界の自動車業界を一変させ、それ以来世界有数の自動車メーカーであり続けている。しかし、常に成功続きというわけではない。
最も顕著な失敗例は、良かれと思って立ち上げたエドセルという新ブランドである。失敗の理由としては、非効果的なマーケティング、低品質、物議を醸すデザイン、消費者の嗜好の変化、不況などが指摘されている。エドセルは、坑道に投げ込まれたグランドピアノのように悲惨な結末をたどった。フォード史上最悪のアイデアかもしれない。
シボレー・コルベア(1960年)
空冷エンジンの苦い経験から40年近くを経た頃、シボレーはコルベアという新型車を開発し、再び痛い目に遭うことになる。ここで問題になったのはエンジンそのものではなく、エンジンをリアに搭載したことであった。コルベアのリアサスペンションは、やや安定性に欠けるスイングアクスル方式を採用しており、そこに重いエンジンを載せてしまったのだ。
そのため、一部の辛辣な評論家・活動家から攻撃の対象とされ、不安定な米国車の申し子になってしまった。シボレーはサスペンションを大幅に改良した新バージョンを導入したが、コルベアの評判が回復することはなかった。