フォード・コンサル・クラシック(1961年)

欧州のメーカーはしばしば米国からスタイリングのヒントを得たが、その成功の度合いはまちまちだった。英国フォードは1961年にコンサル・クラシックを投入したが、当時としては信じられないほど斬新に見えた。それは主に、逆傾斜のリアウィンドウによるものだった。

同じ特徴は2年前に小型のアングリアにも採用されていたが、リアウィンドウ以外はかなり普遍的なデザインだったこともあり、さほど問題にはならず大ヒットを飛ばした。ただ、奇抜さを増したコンサル・クラシックは大失敗を喫し、3年も経たないうちに面白みの少ないコルセアに取って代わられた。

フォード・コンサル・クラシック(1961年)
フォード・コンサル・クラシック(1961年)

ボルボ1800(1961年)

1950年代後半にごく少数生産されたファイバーグラス製ボディのP1900を除けば、ボルボにはスポーツクーペを作るような気配はまるでなかった。しかも、十数年にわたって生産することになるとは、誰が想像できただろう?

1800のデビューは多くの人を驚かせた。生産後期には派生型のワゴンボディも追加されている。その後のボルボにも良いクルマはたくさんあるが、1800の繊細なエレガンスにかなうものはなかった。

ボルボ1800(1961年)
ボルボ1800(1961年)

ビュイック・リヴィエラ(1963年)

1940年代以降、ビュイックはフィン、ベンチポート(フロントフェンダーの丸い通気口)、スイープスピア(ボディサイドのトリム)を使い、他社との差別化を図ろうとしてきた。しかし、初代リヴィエラではデザイン責任者ビル・ミッチェル氏(1912-1988)がそれらをすべて捨て去り、シンプルさと視覚的インパクトを併せ持つ、ライバルのデザイナーも賞賛するスタイルを生み出した。

71年型リヴィエラはさらにドラマチックになったが、初期型ほどの衝撃はなかった。初期型は、メカニカル的には普通かもしれないが、スタイル的には画期的なものだった。

ビュイック・リヴィエラ(1963年)
ビュイック・リヴィエラ(1963年)

ヒルマン・インプ(1963年)

シンガー・シャモアやサンビーム・スティレットなど、さまざまな名で販売されたインプだが、絶大な人気を誇るミニを相手にすることはできなかった。インプの最大の特徴は、コベントリー・クライマックス社が設計した全合金製オーバーヘッドカムエンジンで、トランスアクスルのすぐ後ろの車体後部に、右側に傾けて搭載された。

ヒルマンの非常にオーソドックスなイメージから考えると、ロールス・ロイスが商用バンを出すくらいの驚きだった。これまで一度もこのようなものを発表したことがなかったし、これからもすることはないだろう。インプがまだ生産されていた頃、ヒルマンは新生クライスラー・ヨーロッパの一員となったが、すぐに崩壊し、1970年代後半にはプジョーに救済されることになった。

ヒルマン・インプ(1963年)
ヒルマン・インプ(1963年)

記事に関わった人々

  • AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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