思わず言葉を失った意外過ぎるクルマ 40選 前編 どうしてこんなコトを…
公開 : 2024.01.02 18:05
フォード・コンサル・クラシック(1961年)
欧州のメーカーはしばしば米国からスタイリングのヒントを得たが、その成功の度合いはまちまちだった。英国フォードは1961年にコンサル・クラシックを投入したが、当時としては信じられないほど斬新に見えた。それは主に、逆傾斜のリアウィンドウによるものだった。
同じ特徴は2年前に小型のアングリアにも採用されていたが、リアウィンドウ以外はかなり普遍的なデザインだったこともあり、さほど問題にはならず大ヒットを飛ばした。ただ、奇抜さを増したコンサル・クラシックは大失敗を喫し、3年も経たないうちに面白みの少ないコルセアに取って代わられた。
ボルボ1800(1961年)
1950年代後半にごく少数生産されたファイバーグラス製ボディのP1900を除けば、ボルボにはスポーツクーペを作るような気配はまるでなかった。しかも、十数年にわたって生産することになるとは、誰が想像できただろう?
1800のデビューは多くの人を驚かせた。生産後期には派生型のワゴンボディも追加されている。その後のボルボにも良いクルマはたくさんあるが、1800の繊細なエレガンスにかなうものはなかった。
ビュイック・リヴィエラ(1963年)
1940年代以降、ビュイックはフィン、ベンチポート(フロントフェンダーの丸い通気口)、スイープスピア(ボディサイドのトリム)を使い、他社との差別化を図ろうとしてきた。しかし、初代リヴィエラではデザイン責任者ビル・ミッチェル氏(1912-1988)がそれらをすべて捨て去り、シンプルさと視覚的インパクトを併せ持つ、ライバルのデザイナーも賞賛するスタイルを生み出した。
71年型リヴィエラはさらにドラマチックになったが、初期型ほどの衝撃はなかった。初期型は、メカニカル的には普通かもしれないが、スタイル的には画期的なものだった。
ヒルマン・インプ(1963年)
シンガー・シャモアやサンビーム・スティレットなど、さまざまな名で販売されたインプだが、絶大な人気を誇るミニを相手にすることはできなかった。インプの最大の特徴は、コベントリー・クライマックス社が設計した全合金製オーバーヘッドカムエンジンで、トランスアクスルのすぐ後ろの車体後部に、右側に傾けて搭載された。
ヒルマンの非常にオーソドックスなイメージから考えると、ロールス・ロイスが商用バンを出すくらいの驚きだった。これまで一度もこのようなものを発表したことがなかったし、これからもすることはないだろう。インプがまだ生産されていた頃、ヒルマンは新生クライスラー・ヨーロッパの一員となったが、すぐに崩壊し、1970年代後半にはプジョーに救済されることになった。