思わず言葉を失った意外過ぎるクルマ 40選 前編 どうしてこんなコトを…
公開 : 2024.01.02 18:05
キャデラック・エルドラド(1970年)
当時の状況からすると、70年型エルドラドの登場は予想の範囲内だが、半世紀を経た今となっては極めて異例だろう。この年、キャデラックは8.2L以上のV8エンジンを搭載し、あろうことか前輪駆動方式を採用した。
当時の米国では大型FF車は決して珍しいものではなく、1966年のオールズモビル・トロネードのように大排気量V8の搭載例もあるが、エルドラドは最も極端なケースだった。燃費と排気ガスへの関心が高まるにつれ、米国車のエンジンはどんどん小排気量化されていき、キャデラックも他社も再びこのような高みに達することはなくなった。
ランチア・ストラトス(1973年)
最大1.6LのV4エンジンで前輪を駆動するランチア・フルビア・クーペは、当時最高峰のラリーカーの1つであったが、1970年代半ばに近づくにつれ、新しいものが求められるようになった。ランチアはそれに応えるべく、先代とはまったく異なるモデルを開発した。
可愛らしいフルビアは、フェラーリ製2.4L V6エンジンをリアに搭載した、近未来的なストラトスへと姿を変えた。まるでランチアが一足飛びに2世代も進化したかのようだった。でも強さは変わらなかった。ストラトスは3年間にわたって世界ラリー選手権を席巻し、社内政治によってフィアット131アバルトに取って代わられなければ、その快進撃は続いていたかもしれない。
アストン マーティン・ラゴンダ(1976年)
第二次世界大戦後、アストン マーティンのボディは印象的な曲線美を持つようになった。もし今、鋭角的なボディを持つ新型車が発表されたら人々は驚くだろうが、残念ながら実現はしない。
しかし、かつては可能だった。デザイナーのウィリアム・タウンズ氏(1936-1993)は、フラットなパネルを隣り合わせに配置するのが好きで、ラゴンダでそうしない理由はないと考えた。その効果はあまりに衝撃的で、以来このようなモデルは出てきていないが、ラゴンダの生産は1990年まで続けられた。
ベントレー・ミュルザンヌ・ターボ(1982年)
ベントレーは1920年代に一部のモデルにスーパーチャージャーを搭載していたが、その後は半世紀近く自然吸気にこだわり続け、再び過給器を搭載したのは1982年、ミュルザンヌの6.75L V8エンジンであった。
この動きはロールス・ロイスよりもスポーティ性を強調するものとして注目を集めた。当時、両ブランドはひとつ屋根の下で同じ釜の飯を食う関係にあり、エンブレムや一部のデザインディテールを除けば、互いに見分けがつかないようなクルマを長年にわたって生産していたのだ。