「ベントレーに並ぶ」優雅さと速さ エンジンはリンカーンの12気筒 アタランタV12(1)
公開 : 2024.01.20 17:45
理想的だったリンカーンのV12エンジン
ボディは、アッシュ材のフレームをアルミ製パネルで包んだもの。コーチビルダーのアボット社が生産を請け負い、2シーターのロードスターとドロップヘッド・クーペ、4シーターのドロップヘッド・クーペにサルーンという、複数のスタイルが用意された。
ところが、最先端のシャシーや美しいボディとは裏腹に、当初のエンジンは望み通りの水準に達していなかった。エンジンメーカーのメドウズ社製4気筒をベースに、ゴフがチューニングを加えたものが設定され、1.5Lは79ps、2.0Lは99psを発揮した。
オーバードライブ付きの3速MTが組まれ、オプションでスーパーチャージャーを搭載できた。シリンダーヘッドも、独自設計のものへ交換されていた。それでも、780ポンドという高い価格に対し、充分な動力性能とはいえなかった。
パワーに不満を抱いたのが、クルマを購入した最初の顧客、ナイジェル・ボーモント・トーマス氏。彼がどこからアイデアを導いたのかは不明ながら、当時英国へ輸入されていたアメリカのリンカーン・ゼファー用V12エンジンが、理想的だと考えたようだ。
フォードのフラットヘッドV8エンジンがベースで、バルブインブロックと呼ばれる、シリンダーと並んで吸排気ポートが配置されるレイアウトが特徴。高さを抑えられ、低いボンネットラインに収めることが可能だった。
驚異的な速さ 開戦で自動車製造に終止符
直列4気筒からの置換には、ホイールベースを約300mm伸ばす必要があった。それでも手直しは最小限で済み、特徴的なロングノーズが誕生した。50:50の理想的な前後重量配分も、偶然的に得られた。
ゴフ自身がアストン マーティンDB2/4用エンジンへ載せ替えた、シャシー番号1006番以降、すべてのアタランタへそのV12エンジンが搭載されている。最高出力は113psへ向上し、その頃としては驚異的な速さの実現に至った。
高性能なアタランタは、必然的にモータースポーツへ巻き込まれていく。英国で開催されていた最高速チャレンジ、1937年のルイス・スピード・トライアルでデビューし、1938年にはル・マン24時間レースへワークス参戦を果たした。リタイアに終わったが。
同時期にワトソンとホワイトヘッドは、フレイザー・ナッシュで実力を発揮した女性ドライバー、ミッジ・ウィルビー氏へ会社の権利を売却。彼女は1939年のスコティッシュ・ラリーとウェールズ・ラリーへアタランタV12で参戦し、見事な勝利を収めた。
短期間で名声を勝ち取っていったアタランタ・モーターズだったが、望まぬ第二次大戦が勃発。多くの企業と同様に、1939年から軍需産業へシフトし、自動車製造には終止符が打たれてしまう。
今回ご登場願ったアタランタV12は2台。4シーターのドロップヘッド・クーペは、シャシー番号がL1010で、2ドア・4シーターのサルーンはL1018。同社のラインナップをバランス良く鑑賞できるペアだ。
この続きは、アタランタV12(2)にて。