「ベントレーに並ぶ」優雅さと速さ エンジンはリンカーンの12気筒 アタランタV12(1)

公開 : 2024.01.20 17:45

理想的だったリンカーンのV12エンジン

ボディは、アッシュ材のフレームをアルミ製パネルで包んだもの。コーチビルダーのアボット社が生産を請け負い、2シーターのロードスターとドロップヘッド・クーペ、4シーターのドロップヘッド・クーペにサルーンという、複数のスタイルが用意された。

ところが、最先端のシャシーや美しいボディとは裏腹に、当初のエンジンは望み通りの水準に達していなかった。エンジンメーカーのメドウズ社製4気筒をベースに、ゴフがチューニングを加えたものが設定され、1.5Lは79ps、2.0Lは99psを発揮した。

アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)
アタランタV12 4シーター・サルーン(1937〜1939年/英国仕様)

オーバードライブ付きの3速MTが組まれ、オプションでスーパーチャージャーを搭載できた。シリンダーヘッドも、独自設計のものへ交換されていた。それでも、780ポンドという高い価格に対し、充分な動力性能とはいえなかった。

パワーに不満を抱いたのが、クルマを購入した最初の顧客、ナイジェル・ボーモント・トーマス氏。彼がどこからアイデアを導いたのかは不明ながら、当時英国へ輸入されていたアメリカのリンカーン・ゼファー用V12エンジンが、理想的だと考えたようだ。

フォードのフラットヘッドV8エンジンがベースで、バルブインブロックと呼ばれる、シリンダーと並んで吸排気ポートが配置されるレイアウトが特徴。高さを抑えられ、低いボンネットラインに収めることが可能だった。

驚異的な速さ 開戦で自動車製造に終止符

直列4気筒からの置換には、ホイールベースを約300mm伸ばす必要があった。それでも手直しは最小限で済み、特徴的なロングノーズが誕生した。50:50の理想的な前後重量配分も、偶然的に得られた。

ゴフ自身がアストン マーティンDB2/4用エンジンへ載せ替えた、シャシー番号1006番以降、すべてのアタランタへそのV12エンジンが搭載されている。最高出力は113psへ向上し、その頃としては驚異的な速さの実現に至った。

アタランタV12 4シーター・ドロップヘッド・クーペ(1937〜1939年/英国仕様)
アタランタV12 4シーター・ドロップヘッド・クーペ(1937〜1939年/英国仕様)

高性能なアタランタは、必然的にモータースポーツへ巻き込まれていく。英国で開催されていた最高速チャレンジ、1937年のルイス・スピード・トライアルでデビューし、1938年にはル・マン24時間レースへワークス参戦を果たした。リタイアに終わったが。

同時期にワトソンとホワイトヘッドは、フレイザー・ナッシュで実力を発揮した女性ドライバー、ミッジ・ウィルビー氏へ会社の権利を売却。彼女は1939年のスコティッシュ・ラリーとウェールズ・ラリーへアタランタV12で参戦し、見事な勝利を収めた。

短期間で名声を勝ち取っていったアタランタ・モーターズだったが、望まぬ第二次大戦が勃発。多くの企業と同様に、1939年から軍需産業へシフトし、自動車製造には終止符が打たれてしまう。

今回ご登場願ったアタランタV12は2台。4シーターのドロップヘッド・クーペは、シャシー番号がL1010で、2ドア・4シーターのサルーンはL1018。同社のラインナップをバランス良く鑑賞できるペアだ。

この続きは、アタランタV12(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

アタランタV12の前後関係

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