第47回 朝霧高原スクランブル大会 ’60 〜 ’70年代のオフロード・バイクが集合する伝統のイベント
2018.8.18-19
「チョット変わったイベントを覧てきたよ」とエビス記者からイベント・レポートが届きました。それは30年も続いているというビンテージ・モトクロス・レースだとか。4輪車メディアのAUTOCARですが、たまには2輪ネタも面白いのではないでしょうか。
30年の歴史あるビンテージ・モトクロス・イベント
去る8月18・19日、山梨県は富士河口湖町のスタックランドファーム・オフロードコースにて第47回 朝霧高原スクランブル大会が開催された。“スクランブル”とは何のことかというと、そのまま“モトクロス”と言い換えてもらうとわかりやすいだろう。’60年代ヤマハ 2ストツイン“YDシリーズ”の愛好家の集まりである“YDSクラブ”により1986年から開催されてきた、旧車によるモトクロス・イベントである。
30年あまりの歴史を持つ本イベントだが、近年では運営スタッフやエントラントの高齢化などを理由に継続的な運営が危ぶまれるようになっていた。しかし、若い世代が中心となって結成された“朝霧高原スクランブル大会実行団”が昨年より運営を継承し、YDSクラブが監修することで、伝統のビンテージ・モトクロス・イベントは無事に命脈を保った。
日本のモータースポーツ胎動の時代
舞台となる朝霧高原といえば、1960年(昭和35年)に第2回全日本モトクロスが開催されて以来のわが国におけるオフロードレースの聖地。当時の日本にはオフロード専用の市販国産車は存在せず、実用車やスポーツモデルにブロックタイヤを履かせ、アップハンドル化やマフラーの取り回しを変更するなどの改造を加えたスクランブラーと呼ばれるオートバイで争われていた。その後1968年に本格的な市販オフロード(トレール)車としてヤマハ DT-1が登場し、オフロードブームを巻き起こした。
この時代のレース参戦やマシンのチューニングは、メーカーよりもむしろ市井のモータースポーツクラブやショップが主体となって行われていた。スズキ系の城北ライダース(メンバーの鈴木誠一、久保和夫は後年に東名自動車(現・東名パワード)を設立、黒沢元治や長谷見昌弘も在籍)、カワサキ系のカワサキ・コンバット(星野一義のレースキャリアの最初期)や神戸木の実レーシング(マツダの片山義美が主宰。後に星野も在籍)など、多くの有力クラブチームからは後に4輪レース界でレジェンドと呼ばれるようになる人物を数多く輩出した。そうしたことからも60年代のモトクロス競技は、日本のモータースポーツ史においても大きな意味を持つ存在といえるだろう。
’60年代のマシンと装備にこだわったカテゴリーも
朝霧スクランブルに出場できるのは基本的には1979年以前の車両で、走行カテゴリーによってはさらに年式やエンジン形式、フレーム構造などの制限が設けられている。その大部分は現行車では見かけることのない、空冷2ストローク・エンジンとリアに2本ショックを備えるバイク。旧いモデルでは車体もパイプフレームではなく鋼板プレス製(スーパーカブのような構造)の車両も多い。
最も旧い年式のマシンによる“朝霧クラス”は、1966年以前(と同型車)のレーサーおよびクラブマンレーサー風車両に限られており、ライダーも黒い革つなぎなど当時のスタイルを模した装備にタスキゼッケン装着が必須と、まるっきり60年代当時のモトクロス競技を再現したものとなっている。朝霧クラスにはヤマハYA-6、スズキ・コレダ、ブリヂストン90、トーハツLA2B、ヤマグチ・エース80といった60年代のマシンがエントリーし、スタートラインではヤマハ最初の市販車であるYA-1も加わるというサプライズもあった。正直なところ、朝霧クラスに出場する年代のマシンは車体の剛性も低く、まともに機能するようなサスペンションも備えてはいない。普段は現行車が走るようなコースとの相性も良くはないだろう。しかしながら『半世紀以上も昔のバイクを限りなく当時のままの仕様と装備で走らせ続けて伝えていく』ということは、勝ち負けに関係なく非常に尊い行いではないだろうか。
『旧き良き時代のスクランブラーたちに活動の場を与え、同好者の輪と和を広げると共にわが国の2輪車文化の一翼を担う』を大会の趣旨とする朝霧スクランブル。無用に過激な走りは良しとせず、全ては参加者の良識に委ねられる。そこには和やかな空気が流れ、当時を懐かしむベテランと、先輩たちから60年代のモトクロスについて学ぶ若者たちとの交流があった。いつまでもこのままのスタイルで続いて欲しいイベントである。
・・・と本文を締めくくったところで実は当初、筆者はこのイベントを取材するつもりは毛頭なかった。ただ知人が参加しているので観戦に行ったに過ぎない。また私自身バイクの歴史や事情などにもまったく疎い。しかしながらビンテージ・モトクロスに熱意を注ぐ人々の姿や、当時の社会的現象ともいえた程の盛り上がり、そして2輪・4輪を問わず日本のモータースポーツ史においても重要な時代であったという話を見聞きするにつれ、「コレは読者の皆さんにもお伝えすべきだろう」と思うに至ったのだ。というワケで内容がいささか見当外れだったり、写真のセレクトが「ワカってないなぁ」などという点はお許しいただきたい。
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