【ミニの工場 行ってみた】ミニ生産は突然の決定 大きな困難 さらなる挑戦へ
公開 : 2019.12.22 10:50
ミニを生産している英国オックスフォードにあるカウリー工場を訪問しました。18年前に突然ミニの生産を担当することとなったこの工場では、難題に直面しながらもなんとか無事に生産を開始することに成功しています。次なる挑戦はEVミニとブレグジットのようです。
突然の決定
せっかくオーダーした多機能な大型キッチンの取付工事が始まったあと、そのピカピカのキッチンや白物家電と一緒にまったくレイアウトの異なる家に引っ越すことになったとしたらどう思うだろう?
19年前、その何百倍も面倒なタスクに直面したのが、オックスフォードのカウリーにあるBMWが運営するミニの生産工場で、設備を担当していたチームのメンバーたちだ。
1990年代後半にローバーとBMWによって開発されたニュー・ミニは、当初バーミンガムにあるロングブリッジ工場で生産されるはずだったのであり、ここはオリジナル・ミニの41年に渡る現役期間中、その生産のほとんどを担当していた。
だが、当時のゴードン・ブラウン首相がロングブリッジ工場の近代化を計画していたBMWに対して、比較的小規模な補助金の支出を拒否したためにすべてが変わったのだ。この決定はすでにこの「英国の患者」に辟易していたBMWの経営陣にとっての決定打となった。
2000年3月、BMWはローバーを処分してミニは手元に残す一方、ランドローバーはフォードに売却することを発表している。
ロングブリッジ工場が、額面10ポンドでローバーを買収したフェニックス・コンソーシアムに譲渡されたことで、最後までMG Fとローバー25、45、75を生産していたカウリー工場が、突如としてニュー・ミニの生産工場に選ばれている。
カウリー工場のスタッフたちもこの決定を直ぐに知らされたわけではなかった。
立上げ期間 わずか9カ月
「ローバーが売却されると聞いてから、ミニの生産がカウリー工場で行われると知らされるまでに1時間ほどの間がありました」と、当時75向けの部品調達を担当していたアンディ・ブルックは話す。彼はいまでは資材調達計画の責任者を務めている。
この突然の決定への対応に奔走したスタッフの多くがいまもこの工場に残っている。
見習工として1965年にオースチンに入社したミック・フィッシャーは冗談めかしてその時の様子を、「75を追い出して、ミニを押し込んだんです」と話してくれたが、想像を絶する大変な作業だったに違いない。
「問題だったのは、ロングブリッジ向けに設計されていたすべての設備を、はるかに小さな工場建屋に設置しなければならないということでした」と彼は言う。
「フロントウインドウの取付け装置と完成車のテスト装置は、すべてまったく大きさの異なる小さな建屋に押し込まれることになりました」
ミニでは車体下側から取り付けなければならないパーツの作業方法も変更されている。「ミニ用にロータリースリングが用意されていました」とフィッシャーは言う。
ローバー75では工場の床に掘られたピットからパーツの取付けを行っていたものの、この装置によってミニのボディを90度回転させることで、より簡単に作業を行うことが出来るようになっている。
「設備のチェックは入念に行いたいと思っていました」と、フィッシャーは話している。
「ですが、設備が完成していない状態のときに1台目の車両を生産する必要がありました。通常まったく新しいモデル向けのラインを立ち上げるには3年は掛かります。ところがわれわれには9カ月しかありませんでした」