【相違の英国オープン・スポーツ】ロータス・エランとサンビーム・タイガー 前編

公開 : 2020.02.29 07:50  更新 : 2020.12.08 10:55

英国自動車史に名を残すロータス・エランとサンビーム・タイガー。1960年半ばに誕生したコンパクトスポーツは、異なるベクトルを向いていたにも関わらず、共通性も持ち合わせていました。甲乙つけがたい2台を比較してみましょう。

軽く信頼性のある高利益率のスポーツカー

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
コーリン・チャップマンが生んだ、最高の公道向けスポーツカーといえばロータスエラン。ロータスに対するドライバーの支持やリスペクトを確固たるものとした。

チャップマンという巨匠の魅力に引き込まれたのなら、それ以外の普通のスポーツカーに戻ることは難しい。エランには、ドライバーの本能へ直接訴えかけるほどの、圧倒的な興奮を備えていた。

ロータス・エラン・シリーズ3(1965年〜1968年)
ロータス・エラン・シリーズ3(1965年〜1968年)

エランはまるで外科用メス。その他のスポーツカーが、単なる万能包丁に感じさせるほどの切れ味だった。ハンドリングは史上最高レベルにあり、1960年代に手に入るクルマの中で、目的地に到達できる最速の選択肢だともみなされていた。

ドライバーが魅力に感じるもの以外は、すべて取り除かれたと感じるほどシンプル。しかし、それまでの美しくも手のかかったロータスと比べれば、幅広いドライバーに受け入れられるだけの、民主化された内容も備えていた。

1962年から1973年にかけて作られたエランは、真のスポーツカー・ビルダーとしての地位をロータスへ与えた。完成車両だけでなく、キットカーとしても販売することで、ビジネスモデルとしても成功。コーリン・チャップマンは、エンジニアリングの才能だけでなく、ビジネスマンとしての評価も高まった。

一方で、チャップマンの生み出した少々冴えないロータス・エリートの次のモデルとして、期待も高かったはず。エランは純粋なビジョンをカタチにしただけではない。

機敏でスピードを高めるための、車重とコストを抑える独創的な設計がふんだんに投入されている。信頼性も魅力も高く、利益率も高いスポーツカーを、ロータスは必要としていたのだ。

別の方向を向いたエランとタイガー

そんなロータス・エランは、1964年に入るとシリーズ2へと進化する。一方で1年後の1965年、サンビームはタイガーMk1を英国の道へ解き放つ。価格はエランより10ポンド(1400円)ほど高いだけだった。

タイガーが発表されたのは、1964年のニューヨーク・オートショー。ベースとなったのはサンビーム・アルパインで、気品の高い2シーター・スポーツだった。当初は北米市場のみの販売だったが、ルーツ・グループ時代のサンビームとしては、最後の期待の星でもあった。

ロータス・エラン・シリーズ3(1965年〜1968年)/サンビーム・タイガーMk1(1964年〜1967年)
ロータス・エラン・シリーズ3(1965年〜1968年)/サンビーム・タイガーMk1(1964年〜1967年)

道路を攻めるクルマよりも、どちらかといえばファミリーサルーンが得意分野だったルーツ・グループ。タイガーに与えられた目をみはる最高出力は、チャップマンの軽さを重視する、モダンでエキサイティングなスポーツカーの精神とは相反するものだった。

同じ2シーター・スポーツでありながら、別の方向を向いたエランとタイガー。全長4057mmで車重1176kgのスチール製ボディを持つサンビームは、グラスファイバー製ボディにバックボーン・シャシーを備えるエランより500kg近く重く、50psほども力強い。

英国らしいオープントップ・スポーツカーとして、別のアプローチを取った2台だ。でも比べるほどに、お互いの魅力がよく見えてくるのだった。レーサーのジム・クラークにとって、ロータス・エランは知的で身軽な女スパイ的な存在だったかもしれないが。

慎重に練られた技術と、フォードの協力による最適な既成部品との組み合わせで成り立っていたエラン。エンジンのツインカムヘッドはハリー・マンディによる設計だったが、それより下はフォード・コンサル・クラシックの116E型と呼ばれる5メインベアリング・ユニットだ。

関連テーマ

おすすめ記事

 
最新試乗記

人気記事