【早すぎた流線形のボルボとデ・ソト】斬新なエアフローとPV36カリオカ 前編
公開 : 2020.04.12 18:50 更新 : 2020.12.08 11:05
1930年代、クライスラーの販売は大胆な流線形ボディの新モデルの発表とともに低迷します。しかし、ボルボを始めとする多くの自動車メーカーへ、新しい空力デザイン・ボディを生み出すきっかけを与えました。2台を比べてみましょう。
ストリームラインで先頭に立つ
勇敢に新しい流れを作り出すことは、リスクと隣り合わせなことも多い。1934年1月、流線形ボディの新モデル、エアフローを先駆けて発表したクライスラーは、先頭に立ったと感じていただろう。
創業者のウォルター・クライスラーは、自動車発明以来の本物の自動車だ、と自負した。ストリームラインと呼ばれた流線形は、トースターから蒸気機関車までに影響を与えた、当時の工業デザインのトレンド。
アールデコやバウハウスといった、芸術・デザイン様式の流れを汲んだ新しいスタイル。同時に自動車工学は、原始的な馬と重たい独立シャシー、ケーブルブレーキなどから開放された、次の姿を模索していた。
エアロダイナミクスを追求することは、技術的にも美術的にも、調和の取れるデザインだった。クライスラーの、機能美といえるスタイリングが、失敗するとは考えにくい。
それでも、エアフローは成功できなかった。1935年に滝のような縦縞のフロントデザインを改めるも、流れを変えられなかった。
廉価ブランドだったデ・ソトは、前年まで2万2736台を売っていたのに対し、1934年にエアフローが売れたのは1万3940台。1936年、デ・ソト・ブランドのラインナップから落ちる年には、6275台しか販売されなかった。
上級のクライスラー・ブランドで売り出されたエアフローは、1934年に1万1292台を販売。だが1937年になると400台しか製造できなかった。その後もフェイスリフトなどで延命を試みるが、エアフロー全体の生産台数は5万5155台に留まる。
風洞実験を重ね空力特性を重視
そんなエアフローの始まりは、クライスラー創業10周年を祝うことがきっかけ。ウォルター・クライスラーは特別なモデルを欲したのだ。
技術者は次の自動車の検証と実験を進めていた。当時のクライスラーは、優れたエンジニアリング部門を持つことで他社をリードしていた。三銃士と呼ばれた、フレデリック・ゼダー、オーウェン・スケルトン、カール・ブリアーが率いる部署だ。
フローティングパワーと呼ばれる、フレキシブルなエンジンマウント機構を生み出していた3人。次に取り掛かるべきは、エアロダイナミクスだった。
初飛行を成功させたライト兄弟の助言を受け、縮小版の風洞実験施設が作られた。そこで発見したことが、当時の自動車は、風洞の中で逆向きに風を当てた方が空力性能が向上する、という事実だった。
ブリアーが設計を進めたエアフローは、空力特性を優先。リアシートを車軸の前側に移動し、ボディの高さを抑えた。また、風洞実験から生まれたスタイリングだけではなく、アメリカ人のために熟考された設計を得ている。
新しいボディはセミ・モノコック構造を採用。ボディシェルを兼ねる、外周フレームが与えられた。そこへ、駆動系などが組み付けられた簡素なシャシーが固定されている。
その結果、独立シャシー構造のクルマと比較して、70kgから90kgをダイエット。ねじり剛性は40%も向上させている。さらに重量配分やスプリングの周期性を研究。人間が歩く時のリズムに同期する動きの乗り心地を与えた。