【なぜ撤回?】アキュラが日本上陸しない本当のワケ ブランド立ち位置、日米で違い

公開 : 2020.04.02 12:30  更新 : 2021.10.09 23:54

今から15年前の2005年、当時のホンダ社長は「アキュラを2008年秋から日本でも展開する」と明言。3年後「計画を白紙に戻す」と撤回。決断の背景を回顧します。日米で「アキュラ」は本質が異なりました。

15年前の日本導入発表、12年前に計画撤回

text:Kenji Momota(桃田健史)

「北米、中国に続き、アキュラを2008年秋から日本でも展開する」

いま(2020年)から15年前の2005年、年末記者会見として12月20日に福井威夫社長(当時)は、明言した。

1989年発表のプロトタイプ NS-X。SとXの間にハイフンが入っていた。
1989年発表のプロトタイプ NS-X。SとXの間にハイフンが入っていた。

その3年後、2008年12月17の年末記者会見で、福井社長(当時)は「2010年を目途に導入を予定していたアキュラについては、昨今の環境変化に鑑み、計画を白紙に戻す」と、アキュラ日本導入を撤回した。

ここでいう「環境変化」には、大きく2つの意味がある。

1つは、2008年秋以降にアメリカを震源として起こった金融危機。いわゆるリーマンショックだ。

ホンダにとっての稼ぎ頭、北米市場での急激な販売低下が起こったことで、生産体制や今後の開発体制の大幅見直しが必要となった。そのため、日本でアキュラ導入をおこなうリソースを確保できない、ということだ。

もう1つが、日本市場での軽自動車と小型車への急速なシフトだ。同会見では、2~3年後に販売を目指す、フィットより下のスモールカーモデルの存在を明かした。これが、いまのNシリーズだ。

では今後、日本でのアキュラ導入はあるのだろうか?

レクサスがグローバルブランドとして、日本で新規市場を開拓し続ける中、ホンダはなぜ、アキュラ日本導入の可能性を示唆するようなコメントを発しないのだろうか?

「アキュラ=高級車」ではない

まず、あらためてアキュラとは何か?

筆者(桃田健史)は80年代からアメリカで活動しており、ホンダ関係者とは日米で量産車とレース関連事業を通じて定常的に関係がある。

日本でのホンダは庶民派、小型車、レーシングスピリッツといったイメージだろう。一方、アメリカでのホンダのイメージでは、知的や先進性が優先する。
日本でのホンダは庶民派、小型車、レーシングスピリッツといったイメージだろう。一方、アメリカでのホンダのイメージでは、知的や先進性が優先する。

アキュラは1986年にアメリカで生まれた。目的はホンダのアメリカ法人(ホンダ関係者間での略称:「アメホン」)主導によるグローバルブランドとして、新たなるホンダ価値の創造だ。

これは、「モノづくり」主体というより、「営業/販売/マーケティング」という、自動車事業の出口戦略を重視したものだ。

要するに、ホンダの稼ぎ頭であるアメリカで売れるクルマを「アメホン」主導で考えてみよう、ということだ。

アキュラ導入に際して、ホンダは本田技術研究所の研究/開発体制をアメリカ国内でも強化した。

その上で、そもそも「アキュラ=高級車」という発想がない。

背景にあるのが、アメリカにおけるホンダ・ブランドのイメージだ。

日本でのホンダは庶民派、小型車、レーシングスピリッツといったイメージだろう。一方、アメリカでのホンダのイメージでは、知的や先進性が優先する。

ここに、上質なスポーティ性を加えようというのが、そもそものアキュラ・ブランドの発想だ。

こうした日米でのホンダ・ブランドの立ち位置の違いによって、日本でのアキュラ導入には、そもそも高いハードルがある。

記事に関わった人々

  • 桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?

関連テーマ

おすすめ記事

 

人気記事