【写真で振り返る】印象的なクルマのカラーリング ガルフ、マルティニ、レナウン、555
公開 : 2020.05.02 08:50 更新 : 2020.05.02 14:42
モータースポーツで活躍したクルマは、そのカラーリングとともに記憶に刻まれていることも多いはず。フェラーリの赤や英国車の緑から、マルティニやガルフオイルまで、印象的なクルマのカラーリングを振り返ってみました。
もくじ
ー印象的なカラーリングとは?
ーブリティッシュ・レーシング・グリーン
ーガルフ・レーシング
ーフェラーリ・レッド
ーアラン・マンのフォード車
ーアウディ・クワトロ
ーフォード・マスタングのハイランド・グリーン
ーBMW CSLのゲッサービール・カラー
ーランチア・デルタのマルティニ・カラー
ーランチア・ストラトスのアリタリア・カラー
ーロータスのJPSカラー
ール・マンを制したマツダ787B
ーマクラーレンのマールボロ・カラー
ーMGメトロ6R4のコンピュータビジョン
ーミニ・クーパーSの赤と白
ーオペル・マンタのヒート・フォー・ハイヤー
ーブラバムのパルマラット・カラー
ープリマス・ロードランナーのSTPカラー
ーポルシェのピンク・ピッグ
ースバル・インプレッサの555カラー
印象的なカラーリングとは?
レースにおける成功で記憶に刻まれることもあれば、映画に登場するクルマとして有名になったものもある。いずれにせよ、クルマの歴史で人々の印象に残っているカラーリングは数多い。今回はレーシングカーからロードカー、ラリーカーなど、様々なクルマの印象に残っているカラーリングを挙げてみよう。あなたのお気に入りはどれだろうか?
ブリティッシュ・レーシング・グリーン
モータースポーツの人気が高まった20世紀初頭、国籍を表すナショナル・レーシング・カラーというものが採用されるようになった。英国がグリーンを選んだ理由は、1903年にアイルランドで行われた国際レースに由来する。当時、アイルランドは大英帝国に属していた。そこで英国の出場車であるネーピアは、開催地に敬意を表し、アイルランドのシンボル・カラーであるシャムロック(クローバー)グリーンに車体を塗装したのが始まりとされている。
当初は明るいグリーンだったが、後にマニュファクチャラーによって様々な色調のグリーンが用いられるようになった。1920年代にはベントレーが使用した深緑が有名だ。続いて第二次大戦後にジャガーも濃いグリーンを車体色に採用した。一方、アストン マーティンはより明るい色調のメタリック・グリーンを好み、DBシリーズのレーシングカーに用いた。
ガルフ・レーシング
ブランドにとって、ひと目でそれとわかることが大事な世の中になると、米国のガルフオイルは青とオレンジ色を組み合わせたカラーリングをレーシングカーのボディに採用。この有名なガルフ・レーシング・カラーは、すぐに耐久レースにおける成功と同義になった。特にル・マンでは、このカラーリングを初めてまとったフォードGT40やポルシェが活躍を見せ、24時間レースを青とオレンジ色で彩った。
しかし、このガルフ・レーシングのカラーは、実はウィルシャー・オイル・カンパニーが発祥だ。1960年代当時、ガルフオイル自身のコーポレート・カラーであるダークブルーとオレンジ色は、サーキットでは目立たないと同社の経営者が判断し、買収したウィルシャーのカラーを使用するようになったのだ。このカラーで塗られたレーシングカーの歴史には、フォード、ミラージュ、マクラーレン、アストン マーティン、ポルシェが名を連ねる。
フェラーリ・レッド
赤いフェラーリの伝統は、同社がレース活動を始めた初期にまで遡ることができる。しかし、それから数十年の間に、フェラーリはこの赤の色調をたびたび調整している。特にカラーテレビが普及すると、フェラーリはもっと画面で映える赤にしたいと考えた。
それが、ロッソ・コルサ(レーシング・レッドを意味するイタリア語)と呼ばれる赤だ。以来、フェラーリのファクトリー・レースカーは、すべてこの色をベースにしたカラーで塗られている。テレビの普及に合わせて、より明るく、オレンジ色に近い色調になったが、2007年のモナコ・グランプリでフェラーリは、より濃いオリジナルの色調に回帰。それから現在まで、同じ色調にこだわっている。例外的に、F1では何度かノーズコーンを黒く染めたこともある。一度目は2001年9月、同時多発テロ事件の犠牲者に対する哀悼の意を込めて。そして二度目は2005年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世の崩御により、喪に服した際のことだ。