【英国に変化を与えた懐かしの日本車6台】ダットサン・サニー1000(B10型)/コルト・ランサー1200(A70型)/スズキSC100 GX(セルボ) 後編

公開 : 2020.05.23 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

1960年より以前、英国ではほとんど存在感のなかった日本車。そんな立場を変えるきっかけとなった、開拓者といえる創成期のモデルを一挙に6台、試乗しました。後編ではサニーとランサー、SC100(セルボ)をご紹介します。

世界最速の1.0Lと呼ばれたダットサン

text:Andrew Robrts(アンドリュー・ロバーツ)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
世界最速の量産1.0Lモデルと呼ばれ、英国人にとって日本車のイメージを確立させたのは、ダットサン・サニー。日産が生み出した大衆車だ。

1968年12月、英国に姿を表したサニー1000 B10は、自動車メディアの高い評価を集めた。三菱コルト1100Fと2台を並べ、ダットサンの走行テストを行った。「東洋人を分析」という見出しを付けて。

ダットサン・サニー1000(B10型・1966年−1969年)
ダットサン・サニー1000(B10型・1966年−1969年)

B10型のサニーがデビューしたのは1966年4月。E10型トヨタカローラのライバルとして登場した。サニーというモデル名は、800万件を超える公募の中から選ばれたという。

OKJ 213Fというナンバーを付けたサニーは、1968年に輸入された6台の内の1台。当時はブランド名の認知度も低く、サニーの初代オーナーが手にしたサービスブックには、「日産−ダットサン・コンセショネア(販売代理店)」とメーカー名が記されたほど。

エンジ色のクルマは英国に唯一残る、路上を走れるB10のサルーンだと考えられている。ちなみに、ダットサンというブランド名のディーラーシップは、2000年まで英国に残っていた。

広報用の車両として走った後は、AFタン社のロブ・タンが買い取っている。現在のB10のオーナーは、マーク・アッシュブリッジ。5年前に購入した。

「操縦性は軽快。ダットサンに期待するとおり、トランスミッションの印象も良いです」 と話すアッシュブリッジ。

「軽量なおかげで、走行性能はかなりピーキーですね。穏やかにアンダーステア傾向ですが、ハンドリングは全体的に良好です」 このサニーは操縦性を改善するため、タイヤはラジアルに履き替えている。

英国ではルノーに次ぐ輸入車ブランドへ

当時の宣伝では、「頑丈で快適。高性能なビッグカー」 とうたわれていた。そんなダットサンの実物は、とてもチャーミングだ。

ダイハツ・コンパーノと同様に、サニーに用いられた技術はどれもコンベンショナル。しかしダイハツとは異なり、ちゃんとした販売戦略が展開され、結果が導かれた。

コルト・ランサー1200(A70型)
コルト・ランサー1200(A70型)

770ポンドの英国で売られたサニー100は、およそ900台。英国でダットサンの基礎を築いた。3年後には、B10型にかわって1200ccのB110サニーが登場。英国では、ルノーに次ぐ輸入車ブランドへと成長していった。

一方で、三菱の広報車両として英国で活躍していた白いコルトは1974年式。サニーと比較されたコルト1100Fは、1960年代に様子を見る程度だったが、A70シリーズの初代ランサーは、英国コルト・カー・カンパニーで本格的に売りに出された。

英国での発売は1973年。「タフな新タイプのクルマ」という内容のバナーが店頭に下げられた。ラリードライバーのジョキンダ・シンとデビッド・ドイグは1974年と1976年のサファリ・ラリーで勝利し、販売にも効果的につながった。

初代ランサーには控えめなエントリーグレードの他に、1.2Lのオーバーヘッド・バルブ・エンジンも用意された。当時のメディアは、「比較的旧式の内容ながら、多くを求めなければ、毎日の移動手段として良く走ります」 とランサーを紹介している。

実際、この三菱は幅広い英国人への訴求力を持っていた。信頼性が低いことにウンザリしていたドライバーにとっても。

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