【世界最高を目指したV12】ラゴンダLG45とV12ラピード 戦前のクラシック 前編
公開 : 2020.05.30 08:20 更新 : 2020.12.08 11:04
ウォルター・オーウェン・ベントレーとフランク・フィーリーの力によって、ラゴンダを一時的に復活させたモデル、LG45とV12。当時、世界最高のクルマを目指して誕生した、ドロップヘッド・クーペをご紹介しましょう。
世界最高のクルマを目指したラゴンダ
世界で最高のクルマとは。1914年、第一次世界大戦が引き起こるまでは、ロールス・ロイスだった。
時代が変わり、1935年。「われわれで世界で最高のクルマを作りましょう」 と宣言した人物が表れた。経営の傾いていた英国の自動車メーカー、ラゴンダ社を引き継いだアラン・グッド。従業員を集めて力強く語ったという。
アランが初めに行ったことは、ウォルター・オーウェン(WO)・ベントレーをラゴンダ社へ招き入れることだった。
ロールス・ロイスは、1931年にベントレーを買収。その時、WOベントレーの席も残された。ブランドの創設者として、ロールス・ロイスは彼のマーケティング的な価値を認めていた。
給与はもらっていたWOベントレーだったが、特に責任のある仕事に携わることはなかった。ロールス・ロイスのエンジニアが新しいV型12気筒エンジンの開発を始めても、中心的な設計に関わることはなかった。
創造力に溢れたエンジニアとして、幸せは感じていなかった。そこへやって来たのが、ラゴンダ社を牽引し始めたアラン。WOベントレーは、ラゴンダ製のクルマを運転したり、工場を視察することもなく、移籍に同意したという。
ロールス・ロイスが保有する、大規模な工場や施設で働いていたWOベントレー。ラゴンダ社の小さく古い設備を目にすると、かなりのショックを受けた。時を待たずして、アランは設備投資を進め、拡大させるのだが。
若きデザイナーが生み出したボディ
当時のラゴンダ社は、クラシックな見た目ながら力強く速いクルマを生み出すという、一定の評価を既に得ていた。
例えばラゴンダM45は、メドウズ製の6気筒エンジンを搭載したモデルだが、1935年のル・マン24時間レースでは優勝を果たしている。深刻な財政難に苦しみながらも。
そこでアランは、招き入れたWOベントレーへ、M45のアップデートを指示する。彼は手腕を発揮して仕事をこなし、LG45として生まれ変わらせた。
メドウズ製エンジンはそのままだったが、強固なクロス構造を持つシャシーフレームを与え、ステアリングとトランスミッションに改良を施した。サスペンションにも手を加え、ハンドリングは大幅に改善された。
伝統的なツアラー・スタイルのボディを持っていたM45に対し、LG45では一新。大きなラジエターとヘッドライトは残されつつ、ドアはモールディングの入ったショルダーラインへ続く背の高いタイプへ変更された。フォルムは、そのまま細く絞られたテールへと滑らかに続く。
このデザインを手掛けたのは、若きフランク・フィーリー。ラゴンダ社のボディデザインを長年まとめてきた、ウォルター・バッキンガムのアシスタントを務めていた人物だ。
バッキンガムがラゴンダ社を去った時、フランク・フィーリーは24才。新しいラゴンダ製モデルのスタイリングを任された。