【パワーこそすべて】大排気量V8エンジン アメリカン・マッスルカーの歴史
公開 : 2020.07.17 19:30
飽くなきパワーの追求。より大きなエンジンを載せ、馬力競争に明け暮れた時代がありました。手ごろな価格でパワーを手に入れられるのも魅力です。マッスルカーという1つの分野を築き上げたアメリカ車を紹介します。
もくじ
ー清涼飲料水とマッスルカー
ー先駆者たち
ー人気の火付け役
ーポンティアックGTO
ーフォード・フェアレーン・サンダーボルト
ーAMC AMX(1968)
ーダッジ・チャージャー(1968)
ーフォード・マスタング・シェルビーGT500(1967)
ープリムス・ロードランナー(1968)
ーダッジ・チャージャー・デイトナ(1969)
ーフォード・マスタング・ボス429(1969)
ーシボレー・シェベルSS(1970)
ーオールズモビル4-4-2(1970)
ーダッジ・チャージャー・スーパービー(1971)
ーフォード・トリノ・コブラ429(1970)
ープリムス・クーダ(1971)
ービュイック・リーガルGNX(1987)
ーフォード・シェルビー・マスタングGT350 R(2015)
ーシボレー・カマロZL1 1LE(2017)
ーダッジ・チャレンジャー・デーモン(2017)
ーフォード・シェルビーGT500(2019、2020)
清涼飲料水とマッスルカー
大排気量高出力のV8エンジンを搭載し、高速でありながら手頃な価格で手に入れることができたマッスルカー。
アメリカでは清涼飲料水と並んで愛されてきた。
パワーを身近なものにしてくれたマッスルカーが全盛期を迎えた1960年代は、クルマ好きには最高の時代といえるだろう。
石油禁輸措置とそれに伴う排ガス規制により、1970年代には大幅にシェアが縮小し、消滅の危機に瀕した。
だがやがて、発祥の地であるデトロイトとともにルネッサンスを迎えた。
ここでは、マッスルカーがどのようにして生まれたのか、どのように偉大な存在になったのか、そして今
の姿を紹介する。
先駆者たち
アメリカの自動車メーカーは、「マッスルカー」という言葉が一般的に使われるようになるずっと前から、パフォーマンスの民主化を始めていた。
オールズモビルは1949年にロケット88(写真)を発表し、比較的小型のクルマに大きなエンジンを搭載した最初の企業の1つとなった。
クライスラーはこのコンセプトを磨き上げて305psのC-300を発売。1955年にはアメリカで最もパワフルなクルマとして名を馳せた。
人気の火付け役
1960年代初頭には、パフォーマンスモデルが高く売れることが明らかになった。
多くのメーカーのラインナップに「パワー」が徐々に浸透していった時代だ。
スチュードベーカーは1960年代初頭、V8エンジン搭載車(ラルクやアバンティなど)にスーパーチャージャーをオプションで付けて提供したこともあった。
その後、1962年のモデルイヤーには、シボレーがリアエンジンのコルヴェア(写真)にターボチャージャーを搭載して、社会運動家のラルフ・ネイダーを激怒させた。
コルヴェアは結局、GMとネイダーとの争いに巻き込まれて生産中止に追い込まれている。
一方、ダッジは、量産モデルでありながら4分の1マイルで13秒台を記録できるダートを生み出した。
ポンティアックGTO
ポンティアックGTOは、間違いなくアメリカ初の本格的なマッスルカーである。
ポンティアックはテンペストの高速でパワフルなバージョンを作ろうとしたが、親会社のGMはAボディ車に5.4Lの排気量制限を課していた。
ところが開発者たちは、この制限がオプションには適用されないことに気づいた。
また、大型モデルの6.3L V8が、大きな改造なしでテンペストのエンジンルームに収まることも判明した。
ポンティアックは1964年に「テンペスト・ル・マン」のオプションパッケージとしてGTOを発売したのである。
この8気筒エンジンは、4バレルキャブレターを1基装着した場合に330ps、2バレルキャブレターを2基装着した場合は352psを発生させた。
その結果、1964年には3万2000台以上のGTOを売り上げたが、これはポンティアックの予想をはるかに上回る数字であった。