【ローライダー・クイーン】ピンク色のシボレー・インパラ 東LAのアイコン 前編

公開 : 2020.09.13 07:20  更新 : 2020.12.08 08:36

北米で広く知られる、ピンク色のシボレー・インパラ。オーナーの情熱が、くたびれた中古車を、アメリカン・カーカルチャーを代表する1台に生まれ変わらせました。日本で展示された過去もある、ローライダーをご紹介しましょう。

ローラーイダー発祥の地

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1960年代の北米。東ロサンゼルスほど、活気あるエリアはほかになかったかもしれない。

歓楽街からのにぎやかな声と、点滅するネオンサイン。満員の音楽ホールから漏れ聞こえてくるのは、ロックバンド、スリー・ミッドナイツ。街中が新しいアメリカン・カルチャーに湧いていた。

シボレー・インパラ(1965年)「ジプシー・ローズ」
シボレーインパラ(1965年)「ジプシー・ローズ」

ホームコメディ・ドラマ「チコ&ザ・マン」の映像は、1970年代のヒスパニック系地区の様子を今も垣間見せてくれる。映し出される中で特に刺激的なのは、地面に着きそうなほど低く、ゆっくり走る、派手なピンク色のシボレー・インパラだろう。

そのインパラは、おそらくローライダー界では最も有名な1台。ジプシー・ローズという。

1960年代から1970年代にかけて、文化のるつぼと化したロサンゼルス。ボイル・ハイツやエル・セレーノ地区などはメキシコ文化が融合し、多様な姿が混在するエリアだった。時には白人と衝突しながら。

その中心を貫いているのが、ウィッター・ブールバードという通り。ローライダー発祥の地として、今でも精神的な「ホーム」と呼べる場所になっている。

1950年代末、メキシコから一家で引っ越してきた若きジェシー・バラデス。最初はテキサス州サンアントニオで暮らしていたが、ウィッター・ブールバード沿線へと引っ越してきた。彼はここで、自分らしさを発見することになる。

ピンク色のシボレー・インパラ

バラデスは大通りを走る、カスタムカーに惹きつけられた。しばらくして彼も、ポンティアックのテールライトに改造されたグリーンのシボレーを手に入れ、通りに混じった。弟のアルマンドとともに。

この2人は後に、有名なローライダー・グループ、インペリアルズ・カークラブを立ち上げる。

シボレー・インパラ(1965年)「ジプシー・ローズ」
シボレー・インパラ(1965年)「ジプシー・ローズ」

1960年、シボレーはインパラを発表。初代ジプシー・ローズ誕生のきっかけとなるモデルだ。ウイング状に立ち上がった複雑な造形のフェンダーラインを備え、標準のインパラも印象的なスタイリングをまとっていた。

初代ジプシー・ローズは、ピンク色のボディとピンストライプを除いて、基本的な見た目はノーマル。2代目ジプシー・ローズとは異なり、さほど目立つクルマではなかった。

次にバラデスが手掛けたのは、1963年製のインパラ。だが、現代のいわゆるローライダーとは異なるカスタムが施されていた。優れた技術を備えたピンストライプ職人が生み出す、ワイルドなグラフィックによって、ローライダーのスターは完成したのだった。

当時、最高のピンストライプを描いた店が、カリフォルニア州ヴァンナイズの町にあった。ワイルドヘアの世捨て人、ウォルト・プレイという男が営む小さなガレージだった。

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