【イタリア製のオープン・リムジン】フィアット2800ロイヤル・トーピドー 前編
公開 : 2020.10.04 10:20 更新 : 2020.12.08 08:38
第二次大戦の直前、12台だけが生産されたリムジンが、フィアット2800ロイヤル・トーピドー。独裁化が進むイタリアで、ムッソリーニの権威を示すために作られたといえるモデルです。今も残る貴重な1台をご紹介しましょう。
国家指導者のための大型サルーン
第二次大戦の勃発直前、1938年にフィアットは高級サルーンの2800を発表した。開発の裏で、どんな政治的な陰謀が存在したのかは明らかではない。それでも、情報から推測はできる。
500トッポリーノの成功により、安価で小さなクルマが主力になっていたフィアット。盲目的な独裁者のための、大型車を生み出すようなブランドではなかった。急速に工業化が進む中で、アメリカ製モデルに影響を受けた、少量生産のリムジンにも見える。
ファシズム国家の道を進んでいた、当時のイタリア。ベニート・ムッソリーニは軍事パレードを開き、高速道路のアウトストラーダが整備され、自動車の普及は誰の目にも明らかだった。
フィアットとしては、国家指導者のための大型サルーンを生み出す理由はいくらでもあった。イタリアの産業界で、最も影響力の強かったフィアット。激動と呼べた1930年代の欧州には、堂々とした佇まいのサルーンが必要だったのだ。
巨大なフィアットは、望み通りの時間に列車を走らせることと同じく、既成事実を作る手段の1つだったのかもしれない。アドルフ・ヒトラーを手本とする、独裁的リーダーシップを構築しようとしていたムッソリーニとしては。
クルマ好きで知られたムッソリーニ
どちらの首相も、成長段階にあった自動車の持つ力を理解し、技術開発やグランプリ・チームへの資金提供を勧めた。
ただし、ヒトラーは自身で運転することなく、技術面以外での関心は寄せなかった。一方でムッソリーニは、スピードや自動車を愛していたことで知られている。
ミラノからローマまで、ムッソリーニが運転するアルファ・ロメオに乗った経験を持つエンツォ・フェラーリ。彼の熱烈なドライビング・スタイルに、同乗したエンツォは精神的にかなり疲れた、と後に話している。
ムッソリーニのお抱え運転手も、通常のドライバーではない。ミッレミリアでのクラス優勝経験を持つ、レーシングドライバーだった。
クルマの趣味も多彩。ヒトラーが巨大なメルセデス・ベンツ770グロッサー・リムジンのリアシートに埋まっていた頃、ムッソリーニは多くのモデルを嗜好している。
ランチア・アスチュラのシリーズ4や、アルファ・ロメオ6C-2300。そして公式の場面に必ず乗り付けたのが、フィアット2800だった。
本物のクルマ好きだったといえるムッソリーニ。1945年4月、独裁に苦しめられた群衆によって、ガソリンスタンドの屋根に遺体が吊り下げられたというのは、皮肉な話だ。
さて、今もコンパクトモデルというイメージが強いフィアットだが、当時も大型で高級なモデルに対する経験は、多くはなかった。