【人気再燃】トヨタ2000GT 北米のオークションで、落札額1億円クラスに復活 そのワケは?
公開 : 2020.10.30 07:20 更新 : 2021.10.11 09:37
日本を代表する究極の1台といえるトヨタ2000GTは、オークションで一時期1億円を超えて落札されていました。コレクターズカーのバブルが去って暴落しましたが、先日のオークションで盛り返したとレポートされています。
海外でも人気 トヨタ2000GT
60年代を代表する日本車の頂点に位置するクルマといえば、1967年にデビューしたトヨタ2000GTにほかならない。これに異論を唱える者はいないだろう。
ロングノーズの流麗なスタイルのボディには、当時の最先端となる夢のメカニズムと装備が満載で、世界の最前線を行くGTカーだった。
そこには象徴的ともいえるリトラクタブル・ヘッドランプも採用されていた。
全長4175mm、全幅1600mm、全高1160mmというボディ・サイズは、5ナンバー枠に収まるコンパクトさだが、クルマから放たれるオーラから実際より大きく感じさせた。
ちなみに当時のポルシェ911(ナロー)がトヨタ2000GTとほぼ同じ大きさだったが、全高は160mmも高かった。
シャシーも最先端を行くもので、X型バックボーン・フレームに4輪独立懸架のサスペンション、4輪ディスク・ブレーキ、ラック・アンド・ピニオン・ステアリングギアボックスをいち早く採用。
長いノーズの下にはヤマハと共同開発した150psを発揮するDOHC 2Lストレート6が積まれ、5速ギアボックスを介して最高速度は220km/hに達した。
1967年当時の日本での販売価格は238万円で、今の目で見ると安く思えるが、大卒初任給の比較で現在の価値に置き換えると約1910万円に相当し、物価も勘案すれば3000万円以上にもなる、まさにスーパーカーだった。
シャシーナンバーMF10-10100とは
トヨタ2000GTは、1967年から生産を終える1970年までに試作車を含め337台が製作され、そのうち102台が輸出用として作られている。
今回RMサザビーズ・エルクハート・コレクション・オークションに出品されたトヨタ2000GTは、シャシーナンバーMF10-10100が与えられた左ハンドルのアメリカ仕様。新車からアメリカ東部で暮らしてきた1台だ。
ボディカラーは、ホワイトが多い中にあって少数派のソーラーレッドだった。なおアメリカには当時左ハンドル車が62台デリバリーされたという。
そのファーストオーナーは、ワトキンスグレン・サーキットで伝説のドライバーであるオットー・リントン氏。彼のお気に入りの1台となり30年間も所有されていたそうだ。
1998年にクエーカー・ステートとトヨタのディーラーを経営するペンシルベニア州スクラントンに住むリッチ・ヤコブセン氏の元へ移る。
2006年には、メーカー・スペシャリストのメイン・レーン・エキゾティックによりレストレーションが行われ、完璧なコンディションに復元された。
レストアを終えたMF10-10100は、2007年にラグナセカ・レースウェイで開かれたロレックス・モントレー・ヒストリック・オートモビル・レースに姿を現す。このレースの中で行われた「トヨタ・モータースポーツ50周年記念展」にメモリアル車両の1台として展示されたというヒストリーを持つ。
2007年にワシントン州のブラウン・マローニーに売却された。彼はトヨタ2000GTを駆り、2010年にスコッツデイルで行われたクラシックカー・イベントのクーパーステーツ1000に参加している。
後年になってエルクハート・コレクション入りしたのだが、オーナーが詐欺罪で告訴され破産したことから、今回のオークションに出品されたのである。