【ラリーウエポン5台揃い踏み】フォード・エスコート ツインカムからRSコスワースまで 前編

公開 : 2020.12.26 15:05  更新 : 2021.05.18 16:16

手頃な価格と優れた性能を、高次元でバランスさせてきたエスコート。初代のツインカムから、5代目のRSコスワースまで、その特徴は受け継がれてきました。速いフォードにとりつかれた1人が集めた、壮観な5台をご紹介しましょう。

自動車社会の形成を牽引したフォード

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
手頃な価格と優れた性能のバランスを、当時のライバルモデルより上手にまとめていたのが、初代フォード・エスコート。速いフォードに魅せられたゲイリー・ボールが所有する5台を見ると、世代をまたいだ一貫性がよく分かる。

5世代に渡って、小さなフォードは多くのクルマ好きを惹きつけてきた。陽気な友人とのドライブでも、エキサイティングなラリーでも、安価な価格と優れた性能は多くのファンに身近な存在だった。少し前までは。

フォード・エスコート・ツインカム(初代)/フォード・エスコートRS 1800(2代目)/フォード・エスコートRS 1600i(3代目)/フォード・エスコートRSターボ(4代目)/フォード・エスコートRSコスワース(5代目)
フォード・エスコート・ツインカム(初代)/フォード・エスコートRS 1800(2代目)/フォード・エスコートRS 1600i(3代目)/フォード・エスコートRSターボ(4代目)/フォード・エスコートRSコスワース(5代目)

ところが近年は、高性能なエスコートの価格はうなぎ登り。古き良き時代を映すモデルとして、うっとり眺めるような存在になりつつある。昔はクリスマスツリーを積んで運んだり、風雪の朝に子供を学校まで送ったりしたものだ。

フォードは自動車社会の形成を牽引したブランドとして、揺るぎない評価を得てきた。裕福な人の特別な乗り物だったクルマを、中産階級の手にも届くものとして再発明した先駆者だ。1908年にモデルTを量産し、アメリカという国を一変させた。

その変化の波は、世界中へ広がった。英国でも、1911年からマンチェスターでモデルTのノックダウン生産が始まっている。

世界最大の自動車メーカーとなったフォードは、自動車産業という構造も構築。フォードA型とB型というモデルが続き、1933年には当時最も安価な4ドアサルーンとして、モデルYが発売されている。

モータースポーツでの活躍をPRにつなげる

自動車の普及とともに、大量に生産して安価に売るという手法は行き詰まっていく。フォードは、売り上げを伸ばす手段を模索する。その結果導かれたのが、モータースポーツの利用だ。

フォードは、モータースポーツに早い段階から取り組み、結果を残していた。1904年には、ランド・スピード・レコード、自動車の地上最速記録を残している。

フォード・エスコート・ツインカム(1968〜1971年)
フォード・エスコート・ツインカム(1968〜1971年)

欧州でフォードがモータースポーツの成功を掴んだのは、第二次大戦後。フォード・ゼファーがラリー・モンテカルロなどのイベントで強さを証明した。1959年には、英国サルーンカー選手権でも優勝している。

1960年代初頭、元新聞記者のウォルター・ヘイズがフォードのPRディレクターへ就任。モータースポーツでの活躍を、ショールームでの販売に結びつける展開を始める。

時期を同じくして、フォード・コルチナが発表。フォード製1498ccエンジンに、ロータス製ツインカム・ヘッドが載るという出会いにも恵まれた。ヘイズの提案により、新しいエンジンはコルチナへ搭載。優れた性能を獲得することになる。

レーシングドライバーのジム・クラークも開発に関わりつつ、コンペティション仕様のロードカー、ロータス・コルチナが誕生。その後、高性能モデルの開発に特化した部門、フォード・アドバンスド・ビークル・オペレーションズ(AVO)の成立へ展開していく。

AVOより先に姿を表したのが、今回の主役、初代フォード・エスコートだ。1968年1月のブリュッセル・モーターショーで発表され、1098ccか1297ccの4気筒ケント・ユニットが選べた。

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