【ナイフvsハンマー】スカイラインGT-RとポンティアックGTO GTを名乗る日米の2台 前編

公開 : 2021.01.16 07:25

欧州ブランドが幅を利かせていた高性能グランドツアラー、GTというカテゴリー。そこへ戦いを挑んだ2台が、初代日産スカイラインGT-RとポンティアックGTOです。同じGTを掲げる、対象的な2台を比較試乗しました。

輸出されなかったスカイラインGT-R

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:John Bradshaw(ジョン・ブラッドショー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
古いダットサンに、20万ポンド(2700万円)の値段が付いている。もちろん、日産にイメージするような手頃な日常の足ではない。控えめな3ボックスのハードトップ・クーペのプロポーションながら、アグレッシブさを漂わせる初代スカイランGT-Rだ。

あいにく日本以外で売られることはなく、1970年代初めの英国人は退屈なファミリーカーの日産車しか運転できなかった。信頼性は信じられないほど高かったのだが。

日産スカイラインGT-R(初代KPGC10/1969〜1972年)
日産スカイラインGT-R(初代KPGC10/1969〜1972年)

当時のツーリングカー・レース参戦のために、費用を抑えて生み出された特別なスカイランだということは、ご存知の読者も多いだろう。レースデビューとなったのは、1969年5月だ。

前期PGC10型、4ドア仕様のGT-Rは圧倒的な強さを見せ、国内のレースで大暴れ。33度もの勝利を奪い取っている。1972年10月にワークスチームが解散されるまで勝利を上げ続け、最終的には50勝という記録を打ち立てた。

R32型の登場まで、初期のスカイランGT-Rは海外へ正規に輸出されることはなかった。モータースポーツでの活躍を知るほどに、ミステリアスなGT-Rのイメージは海外で膨らむ一方だ。

トヨタ2000GTやマツダ・コスモ・スポーツ110Sといった名車も、海外の自動車コレクターの心を魅了してやまない。しかし1969年から1972年に製造されたGC10型の「ハコスカ」スカイラインGT-Rは、それを超える光を放っている。

GT-Rと対象的なポンティアックGTO

初代GT-Rの多くはレースを戦い、カタチを失った。生き残ったハコスカでは、メンテナンスの大変なツインカム6気筒が降ろされ、ダットサン240Zのシングルカム6気筒へ載せ替えられた例も少なくない。

英国のDDクラシックス社が保有するような完璧な状態のハコスカGT-Rには、そう簡単には出会えないのだ。落札するのにも、それなりの資金力が必要となる。

初代日産スカイラインGT-Rとポンティアック・テンペスト・ル・マンGTO
初代日産スカイラインGT-Rとポンティアック・テンペスト・ル・マンGTO

面白いことに、DDクラシックス社のダニー・ドノヴァンは、1965年式ポンティアックGTOという同時代の「GT」も保有していた。良い比較相手になりそうだ。

このGTOの成功をきっかけに、ポンティアック・ブランドに属していたジョンZデロリアンはチーフエンジニアに昇格する。ステンレス・ボディの2シーター、デロリアンを生み出すことになる人物だ。

GTOは手頃な価格の高性能モデルを主力に掲げることで、いわゆるアメリカン・マッスルカー市場を生み出した1台。ただし車名とは裏腹にレースの公認車両になることはなく、モータースポーツでは目立った結果を残していない。

リスクを恐れたGMは、控えめに年間5000台の製造目標を掲げていたが、1964年の発売開始から1965年までに5万台を販売。あえてレースでの強さを証明する必要もなかったのだろう。

1960年代初頭のダッジ・ダートに影響を受け、GTOは中流のホワイトカラー向のけマッスルカーとして誕生した。当初は、ポンティアック・テンペスト・ル・マンに追加された、295ドルのオプション・パッケージという扱いだった。

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