【W123型 230 TE】メルセデス・ベンツ初のステーションワゴン 英国導入を決めた男 前編
公開 : 2021.01.31 07:25
メルセデス・ベンツ初のステーションワゴンに、右ハンドルを設定させた人物の1人、ジョナサン。素晴らしい状態の230 TEとともに、当時を振り返ります。
メルセデス初となるW123型のワゴン
メルセデス・ベンツがステーションワゴンで存在感を示すようになるには、短くない時間が必要だった。西ドイツ時代のワゴンといえば、フォードやオペル、フォルクスワーゲンが主要な選択肢。商材や荷物を運ぶ営業マンが、仕事で乗るタイプのクルマだった。
その頃の英国では、裕福な市民による多機能なクルマへの需要が高まりつつあった。上級ワゴン以上の質感を備えた、高価なドイツ車を。
実際、W111型「フィンテール」やW114のステーションワゴンがダイムラー・ベンツの認可を受け社外で製造されると、支持を獲得。5ドアボディの小さくない需要を証明した。
1960年代から1970年代にかけては、欧州では大型のステーションワゴン市場が急速に拡大。プジョーとシトロエンが好調に業績を伸ばす。西ドイツでも、1973年から1977年までの間に、ステーションワゴンの販売が4000台から2万1000台へ急伸していた。
当時、数十万台ものメルセデス・ベンツがタクシーとして用いられていた反面、上級なブランドイメージを守るべきだと考えていたダイムラー・ベンツAG。とはいえ、ステーションワゴンも無視できないセグメントになっていた。
ビンツ社やクレイフォード社といったコーチビルダーに依頼する方が、自社で設計・製造するより効率よく生産できる可能性はあった。しかしW123型へステーションワゴンの設定が決まると、自社生産へ舵を切る。
モータースポーツの歴史で影響力を持つ1人
ツーリズムやトランスポートを示す「T」が付け加えられたW123型のステーションワゴンは、1977年のフランクフルト・モーターショーで発表。右ハンドル車として英国に入ってきたのは、1978年になってから。
今回ご登場願ったのは、ジョナサン・アッシュマン。彼の活躍がなければ、英国ではW123 Tを見ることはなかったかもしれない。そんな人物だ。
オートスポーツ誌が最近発表した、モータースポーツの歴史で最も影響力のある人物50人の1人にも選ばれている。RAC(ロイヤル・オートモービル・クラブ)モータースポーツ協会で11年間、グランプリの運営や管理に携わってきた経験を持つ。
FIA(国際自動車連盟)のツーリングカー委員会の委員長を努めていた過去もあり、控えめな人柄の一方で、確かな社会的なつながりを持っている。それより以前は英国のラリー競技で、メルセデス・ベンツを活躍させた功績もある。
アッシュマンは1970年代初めに、ロンドンの西、ブレントフォードの英国メルセデス・ベンツでキャリアをスタートさせた。「大学で経営を専攻していました。2年大学で過ごし、1年社会で働いて、もう1年大学で過ごしています」。と振り返る彼。
「学生時代は、BMWやアルファ・ロメオ、メルセデス・ベンツの英国本社がある、グレート・ウェストロードの近くに住んでいました。最初に履歴書を送ったのがメルセデス・ベンツでした」
「あなたを必要としています、という内容の返事をもらい、1970年にインターンで働きました。素晴らしい時間でしたね」