【存在意義は?】スバルにとっての「BRZ」 アメリカシフトから読み解く
公開 : 2021.04.06 17:45 更新 : 2021.04.08 15:55
アメリカシフトで販売台数を伸ばしたスバルにとってBRZは、販売戦略の中で重要な意義をもつモデルといえます。
新型はトヨタの関与度合いが高まる
やっと、新型BRZが日本でお披露目された。
2020年11月にアメリカで先行公開され、アメリカ人ジャーナリストらがすでに試乗をおこなっているが、それから5か月近く経ってから、日本仕様の登場だ。
日本での公開の中で強調されたのが、トヨタとの関係強化だ。
スバルのプレスリリースの冒頭、「トヨタともっといいクルマづくりを追求し」という1文が目を引く。
2012年登場の初代BRZでも、トヨタとの協業体制を敷いてきたが、エンジンも車体もスバル(当時の富士重工業)の設計であり、生産も群馬県太田市内のスバルの製造施設というスバル主導型のビジネスモデルだった。
2代目BRZと新たにGRの仲間入りをしたGR 86についても、初代に近いトヨタとの関係に思えるのだが、実態としては2019年9月に2社で合意した業務資本提携の影響が色濃くあり、実質的にはトヨタが関与する度合いがかなり高まったといえる。
スバルとしては、いわゆるOEM供給(相手先ブランド供給)として、トヨタを「お客さま扱い」するのではなく、スバルの強みであるスポーツカーに対するものづくりを、より深くトヨタの議論する体制となっているようだ。
一方で、スバルを取り巻く社会環境はどうか?
スバルはこれからどのようにして、生き残っていくのか? そこにBRZは、どう絡むのか?
進むスバルのアメリカシフト
BRZが誕生した2012年と現在(2021年)で、スバル全体を俯瞰すると、大きな違いは販売台数の倍増だ。
2020年はコロナ禍とはなったが、今や100万台の大台を超える企業になった。
背景にあるのは、急激に成長したアメリカでの販売の伸びだ。出発点は、2000年代中盤に掲げたアメリカ市場強化戦略だった。
スバルのブランドイメージは、レガシィに代表されるようなヨーロピアンテイストがあった。結果的に当時の世界最大自動車市場だったアメリカでの人気は限定的だった。
そのころのスバルについて、筆者は居住地のテキサス州ダラスで身近に感じていたのだが、テキサスや、カリフォルニアなど、サンベルトと呼ばれる自動車需要が多い地域ではマイナーブランドに過ぎなかった。
スバルがよく売れていたのは、西海岸北部のワシントン州やオレゴン州、東海岸でも北部のメーン州やニューヨーク州、そして中部ではコロラド州など、いわゆる生活四駆として需要だった。
一部には、アウトドア系の趣味として使う層もいたが、車両サイズがアメ車と比べて小さいことで利便性に欠けるとの声も多く聞かれた。
こうした状況を踏まえて、スバルのアメリカ市場に向けた商品企画が大幅に見直されることになった。