【追悼】日本人「ホットウィール」デザイナー リュウ・アサダ氏偲ぶ120台 米に集う

公開 : 2021.05.27 05:50  更新 : 2022.03.25 18:49

世界的ミニカーデザイナーの故リュウ・アサダ氏の偉業をたたえ、旧車をはじめ120台がアメリカを駆け抜けました。

アサダ作品「日本車ってカッコいい」

text:Kumiko Kato(加藤久美子)
editor:Taro Ueno(上野太朗)

ホットウィールはアメリカに本社を置く世界最大のおもちゃメーカー、マテル社が1968年に発売したミニカーブランドでこれまで世界60億台以上が販売されている。

トミカと同じ3インチサイズが中心だ。

リュウ・アサダ氏の追悼ドライブに集まったクルマ
リュウ・アサダ氏の追悼ドライブに集まったクルマ

1978年に大阪で生まれ育ったアサダ氏はオレゴン大学で物理学の学位を取得したあと、超一流自動車デザイナーを数多く輩出してきたアート・センター・カレッジ・オブ・デザイン(カリフォルニア州パサディナにある芸術大学)で自動車デザインを学んだ。

2004年からマテル社のブランドである「マッチボックス」でミニカーのデザインを始め、2013年からは「ホットウィール」でアサダ氏にしかできない、最高にカッコイイ日本車をミニカーに仕立ててきた。

アサダ作品にはアメリカでは「KYU-SHA」(旧車)と呼ばれる80~90年代の日本車が数多く存在する。

どれも、「日本車ってこんなにカッコよかった?」と思わせるデザインだ。ミニカーのみならず日本車(実車)の人気を世界に拡散させる存在にもなっている。

同じクルマで同じサイズであっても、デザイナーの個性を出さず、実車に忠実なデザインで再現するトミカとは大きく異なる。アサダ作品の日本車は日本人が気づいていない魅力をうまく引き出してデザインしている、唯一無二の個性なのだ。

しかし、アサダ氏は4年半の闘病の末、今年3月23日に42歳の若さで旅立った。本当にレジェンドになってしまったのである。

葬儀は4月半ばに日本からご家族が参列されてロサンゼルス近郊でおこなわれ、翌18日にアサダ氏をしのぶ「メモリアル・ドライブ」が開催された。

追悼ドライブ 集まったクルマ120台200名

追悼ドライブを主催したのはカリフォルニア在住の日本車大好きなジャーナリストBEN HSU(ベン・シュー)さんだ。

「japanesenostalgiccar.com」という人気の旧車サイトを運営しており、アメリカの有名自動車メディアにも数多くの寄稿をしている。

リュウ・アサダ氏の追悼ドライブに集まったクルマ
リュウ・アサダ氏の追悼ドライブに集まったクルマ

追悼ドライブがおこなわれた経緯についてベンさんに聞いてみた。

「リュウの死は、世界中の彼のファンに多大な悲しみと衝撃を与えました。そしてリュウの家族と話し合った後、ファンのために記念ドライブを計画することにしました。リュウの人生とダイキャスト(ミニカー)の世界への貢献を称えるためです」

「最大参加台数は100台でしたが、募集を開始して数日で埋まってしまい最終的には親しい友人や同僚を追加したので、合計120台約200名が参加しました」

「ホットウィールやマッチボックスの同僚やリュウのファンでもある自動車業界の皆さんも参加しました。ホンダ、GReddy、KWサスペンション、スバル・モータースポーツUSA……」

参加車両は、

トヨタランドクルーザーFJ60
スバルSVX
ホンダNSX
ダットサンロードスター
ダットサン620
ホンダN600
マツダMX-5ミアータ
ホンダ・プレリュード
ダットサン240Z
ホンダS2000
日産スカイライン
日産ハコスカGTR
ホンダ・シビックEF などなど

25年ルールで輸入されたであろうAZ-1や80スープラの姿も見える。

記事に関わった人々

  • 加藤久美子

    Kumiko Kato

    「クルマで悲しい目にあった人の声を伝えたい」という思いから、盗難/詐欺/横領/交通事故など物騒なテーマの執筆が近年は急増中。自動車メディア以外ではFRIDAY他週刊誌にも多数寄稿。現在の愛車は27万km走行、1998年登録のアルファ・ロメオ916スパイダー。クルマ英才教育を施してきた息子がおなかにいる時からの愛車で思い出が多すぎて手放せないのが悩み。

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