【実力あるのに……】時代を先取りし過ぎて売れず 不運な名車4選

公開 : 2021.06.09 05:45  更新 : 2021.10.13 12:12

クルマやアイデアがいいからと言って売れるワケではありません。時代を先取りしすぎた不運の名車を紹介します。

SUVブームの波は来ず……不遇の「スカイライン

text:Kouichi Kobuna(小鮒康一)
editor:Taro Ueno(上野太朗)

クルマには技術の進化とは別に、時代の流れにも左右されやすいものだ。

現在であればあれほど隆盛を誇ったセダンがすっかり不人気のジャンルとなっていることからもお分かりになるだろう。

日産スカイライン・クロスオーバー
日産スカイライン・クロスオーバー    日産

そこで今回は、クルマとしての完成度は悪くなかったものの、時代を先取りし過ぎて流行に乗ることができなかった不運なモデルをご紹介したい。

まずは、日産スカイライン・クロスオーバー。

日産を代表する車種の1つとして、その名を知らぬ人はいないと言っても過言ではないほどの知名度を持つスカイライン。そんなスカイラインにクロスオーバーモデルが追加されたのは2009年のことだった。

当時の12代目スカイラインと共通のデザインを持っていた同車だが、実はほとんどが専用部品で構成された贅沢なつくりで、クーペ風なスタイリッシュなクロスオーバーSUVに仕上がっていた。

搭載されるエンジンは330psを誇るV6 3.7Lエンジンで、7速ATと組み合わされたパワートレインは、スポーティ。それでいてラグジュアリーな雰囲気で非常に贅沢なモデルとなっている。

元々は日本国外で日産の高級車ブランド「インフィニティ」から「EX」としてリリースされていたモデルであり、当時は日本にもインフィニティ・ブランドを導入予定だったことから日本仕様が作られたが、インフィニティ・ブランドの立ち上げが頓挫したためスカイライン・ブランドで販売されたとも言われる不遇の名車。

せめてもう少し登場が後ろにずれてSUVブームに乗っていれば……と思ってしまう1台である。

セダン主流の中でのピラーレス・ミニバン

続いてご紹介する車種も奇しくも日産が生み出した、プレーリーだ。

1982年に登場したプレーリーは、当時のミドルクラスセダンのスタンザをベースに作られた3列シートを備える多人数モデルだった。

日産プレーリー
日産プレーリー    日産

当時はまだミニバンという言葉がなく、カタログなどでは「びっくりBOXY SEDAN」というコピーを使用して、新たなジャンルのセダンであることをアピールしていた。

そんなプレーリーの最大の特徴はBピラーを持たない両側スライドドアである。

現在でも軽自動車のタントやNバン、少し前ではトヨタのアイシスやラウムが採用しており、Bピラーがないことでより乗り降りがしやすく、荷物の載せ下ろしも容易ということをアピールしていた。

しかし、前述したモデルはどれも左側(助手席側)のBピラーのみレスとしていたところ、プレーリーはなんと両側のBピラーをレスとしてしまっていたのである。

当然乗降性は圧倒的に高く、両側ドアを開け放ったときの解放感も段違いであり、レジャーユースなどでは高い評価を集めていた。

ただし、当然ながらその分ボディ剛性は低く、前期型に関してはリアゲートもバンパー下まで一体となって開閉する大開口部を持っていたことで、より剛性が低下していたことで、操縦安定性に難があり、手放しで歓迎されるまでには至らなかったのである。

記事に関わった人々

  • 小鮒康一

    Koichi Kobuna

    1979年生まれ。幼少のころに再放送されていた「西部警察」によってクルマに目覚めるも、学生時代はクルマと無縁の生活を送る。免許取得後にその想いが再燃し、気づけば旧車からEV、軽自動車まで幅広い車種を所有することに。どちらかというとヘンテコなクルマを愛し、最近では格安車を拾ってきてはそれなりに仕上げることに歓びを見出した、尿酸値高い系男子。

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