【100周年を祝った眩しい緑】3番目に古いシトロエンDS 19 レストアに17年 前編

公開 : 2021.06.27 07:05

見惚れるほど鮮やかなグリーンに塗られたシトロエンDS 19。17年間というレストアを経てよみがえった1台を、英国編集部がご紹介します。

デビュー年の製造はわずか69台

text:Jon Pressnell(ジョン・プレスネル)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
シトロエンが100周年を祝うために用意したDS 19は、3番目に古い個体だという。しかし製造されたのは1956年2月3日で、デビューから数か月が過ぎた頃。カーナンバーは359で、不自然に若い。

一体どういうことなのか。すべてが事実だ。少し詳しく確認してみよう。

シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)
シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)

シトロエンDSが発表されたのは1955年10月のパリ自動車ショー。メディアは過熱気味にニューモデルを報じたが、翌1956年にケドゥ・ジャベルの生産工場を旅立ったDS 19は、1万859台に留まった。

同じ年、シトロエンのトラクシオン・アバンは2万5182台が組み立てられている。モデル末期として古さが笑いの種になるほどだったが、当時世界で最も先進的だと評されたモデルの2倍以上が売れていた。

ロングセラーとなった祖先同様、DSもまた、順調なスタートは切れずにいた。フランスを代表する自動車メーカーにとって、大きな影を落とすモデルだったといっても良い。数年後に登場したBMCミニが抱えていた初期の不具合など、可愛いものだったと思える。

華々しくデビューした1955年、シトロエンが生産したDS 19はたった69台。トラクシオン・アバンの生産台数のピークは1953年に過ぎていたが、美しいDSとその廉価版のIDが超えるのは、1959年になってからだった。

シトロエンは2019年に創業100周年を迎えた。長い歴史を記念するべく初期のDSを探したが、なかなか見つからずにシトロエンは苦労したそうだ。グリーンの359番へたどり着くまで、かなりの時間を要したらしい。

ハイドロ関係を中心に不具合多数

DSの開発には、短く見ても5年は費やされていた。ところが完全な内容でフィニッシュしたとは、お世辞にもいえなかった。

量産仕様として初めてのボディが完成したのは、1955年9月になってから。目前のパリ自動車ショーを目指して、30台が手作業で組み立てられた。

シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)
シトロエンDS 19(1956年/欧州仕様)

シトロエンの技術者は、専門分野それぞれに関しては精通していた。しかし部外秘とする体質が強く、クルマ全体を俯瞰して理解できていた人は限られていた。

各地に広がるディーラーへは、DSに関する情報は事前にほとんど知らされていなかった。メンテナンスなどの事前研修も、まったく受けていなかったという。故障でディーラーに持ち込まれたDSの多くは手に負えず、シトロエンの本社へ戻された。

あるいは、シトロエン本社が運営するトラブルシューティングの専門部隊、スーパー・コントロールがディーラーへ回ってくるのを待つしかなかった。もちろん、今はそんな心配は一切不要だが。

DSの抱えていた問題の多くが、ハイドロ関係。至るところでフルードが漏れた。ラジエターの内側にまで。シフトレバーと油圧セレクターのリンクも、よく壊れた。クラッチからは振動が出て、エンジンは自らバルブ系統を破壊した。

さらに驚くことに、イタリアで生産されたキャブレターは、フランスで流通するガソリンと互換性がなかった。低圧ポンプが異常に加熱し、冷却系へ強い負担をかけた。

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