【1930年代の最速マシン】アラード・テールワガーII フラットヘッドV8搭載 前編

公開 : 2021.09.26 07:05  更新 : 2021.10.14 16:02

戦前のスペシャルマシン、アラード・テールワガーII。4.8L V8エンジンを載せ、戦前最速の1台と呼ばれるクルマを英国編集部がご紹介します。

圧倒的な強さを見せたスペシャルマシン

執筆:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
撮影:James Mann(ジェームズ・マン)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
フォード製のフラットヘッドV8エンジンといえば、アメリカのカーカルチャーで長い歴史を持つ。一方で1930年代の英国では、シドニー・ハーバート・アラードが生み出した最速スポーツカーの1台へ搭載され、存在感を示していた。

エキゾチックなアルファ・ロメオブガッティのオーナーたちは、デトロイト産エンジンを載せたライトウエイト・スポーツを好ましくは見ていなかったようだ。だがアラードがレースに出れば、圧倒的な強さを見せつけた。

アラード・テールワガーII(1938年/英国仕様)
アラード・テールワガーII(1938年/英国仕様)

アラードとアメリカ製V8エンジンとの結びつきは、フォード・ツーリスト・トロフィのチームマシンの買い取りがきっかけ。1936年、クラッシュで破損したモデル48クーペをベースに、1台のスペシャルマシンを作り上げたのだ。

ブガッティのボディを、強化したフォードのフレームへ載せ、CLK 5というナンバーを取得。基本的な構成で軽量なマシンは、整備されていないコースを走るトライアルレースで大きな評判を巻き起こした。

片目が不自由なシドニーがステアリングを握り、勇敢な妻のエレノアが助手席へ窮屈そうに並んだ。フラットヘッドが唸りを上げ、オフロードセクションを突き進む。バラミーが開発した独立式のフロントサスペンションを、激しく上下させながら。

生まれたてのブランド、アラードを告知するため、スコットランドのベン・ネビス山への登頂も計画されたという。アラード・モーター社として設立される前のことだ。

FGP 750のナンバーを付けた2台目のアラード

ほどなくアラードの注文が舞い込み、オリジナルの1台も販売する。しかし、シドニー自身のために2台目のアラードを仕上げるには、2年が必要だった。

1938年の冬、ロンドン南西部、パトニーのアドラー・ワークショップは多忙を極めていた。12月3日のロンドン・グロスター・トライアル出場へ間に合わせるべく、シドニーの新しいアラード、通称テールワガーIIの製作が昼夜を問わず進められていた。

アラード・テールワガーIIをドライブするシドニー・ハーバート・アラードと、助手席の妻、エレノア
アラード・テールワガーIIをドライブするシドニー・ハーバート・アラードと、助手席の妻、エレノア

軽量化のためにボディは塗装されず、ファーナム・アボット社によるアルミニウム製ボディは、見事な輝きを放っていた。FGP 750のナンバーを取得し、ドライバーはマーティン・ソームズが担った。

イベント当日に3.9LのV8エンジンへ火が入れられると、騒ぎを呼ぶほどの排気音が響いたという。モータースポーツ誌は、FGP 750がホテルの駐車場で出発準備を整える最中、ライバルが集まった時の様子を鮮明に報告している。

「細身のヒップに巨大なリアタイヤを備える、美しい仕上がりです」。と、記者のHLビッグスは残した。ガイ・ウォーバートンも、最初に制作されたCLK 5のアラードで参戦。2台はイベントを支配し、錚々たるエントリーを抑え見事な勝利を収めている。

その後、シドニーのチームはFGP 750のアラードをチューニング。エグゾースト・マニフォールドを改良し排気効率を高める一方、キャブレターの調整も重ねられた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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