【忘れられた名車】日産プリメーラ 欧州の強敵に挑んだ3代目 広い意味でターニングポイントに
公開 : 2021.09.20 18:45
2001年に登場した3代目・日産プリメーラ。斬新なデザインと最新装備で欧州市場に挑んだ、隠れた名車です。
叶えたかった「プレミアムへの逃避行」
日産最後のプリメーラは、道を踏み外した同社の象徴だった。ルノーに助けられ、カルロス・ゴーン新社長の再建計画が実行された後にデビューしたが、その基本コンセプトは会社が危機に瀕していた頃に形成されたものだった。
プリメーラは日本だけでなく欧州市場を強く意識して開発され、2001年には3代目が発売されたものの、現地ユーザーの購買意欲はドイツを中心とした他国ブランドに向けられていた。
当時は、自動車業界のマーケティング担当者が「プレミアムへの逃避行」と表現した時代。アウディ、BMW、メルセデスの各モデルは(たいてい)作りがしっかりしていて、明らかに格調が高く、しかも減価償却が遅いためにリース料が安く済むという喜びに、ユーザー達も気づいていた。
つまり、主流メーカーは顧客を集めるために、より一層の努力をしなければならなかったということだ。プリメーラが属していたDセグメントのほとんどのクルマは法人向けに販売されていたが、各企業の従業員は好むと好まざるとにかかわらずフォード・コルティナを支給されていた時代よりもはるかに多くの選択肢を与えられていた。
社用車として導入していたユーザーにとって、キドニーグリルを備えた高級車と比べてプリメーラの影はますます薄くなっていった。
欧州車へ追いつき、追い越そうとした
1990年に発売された初代プリメーラは、シェイプアップされたスタイルと非常に優れたシャシーにより、それなりの成功を収めた、というよりも、芋臭いブルーバード(失礼)に比べれば確かに良かった。
日産は、ホフマイスターキンク(Cピラー根本のウィンドウを折り曲げた形状)やエンブレムを挟んだツイングリルなど、BMW流のデザイン要素をいくつか拝借した。2代目プリメーラでも、BMWのデザイン・ポリシーである漸進的な変更が行われた。
その結果、1990年のP10系の当たり障りのないヨーロピアン・スタイルは、1996年のP11系ではちょっと上品なユーロブランド・スタイルに変わっていた。1999年に行われたP11のマイナーチェンジでは、「フライングウィング」と呼ばれるツイングリルが採用されたが、これもまたBMWの香りがするものだった。
P10と同様、P11は優れたハンドリングを誇り、1998年と1999年のイギリス・ツーリングカー選手権で優勝。そのコーナーリング性能が証明された。
しかし、サーキットでの活躍だけではBMWファンを魅了することはできず、3台目のP12プリメーラでは、BMW的なデザイン戦略を捨て、大胆なスタイルを目指した。