【1959年式は残存約250台】モーリス・ミニ・マイナー 評論家が買い取った広報車 前編

公開 : 2021.10.16 07:05  更新 : 2021.10.18 07:53

AUTOSPORT誌の自動車ライターが長く大切にしてきた、オリジナル・ミニ。1959年式という最初期の貴重な1台をご紹介します。

自動車メディアへ貸し出されたミニ

執筆:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
撮影:Luc Lacey(リュク・レーシー)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
2万5000台の製造数のうち、現存するのは250台ほど。1959年に初めて製造されたBMCミニは、思いのほか貴重なモデルだ。その中でも981 GFCのナンバーを付けたミニは、経歴という点でも珍しい内容を備えている。

チェリーレッドやクリッパーブルーで塗装され、1959年8月5日から9月17日に登録された33台のミニには、末尾がFCのナンバーが与えられた。試作車として試験を終えると、長期の試乗評価のために自動車メディアへ貸し出された。その1台だ。

BMC モーリス・ミニ・マイナー(1959年/英国仕様)
BMC モーリス・ミニ・マイナー(1959年/英国仕様)

量産前のミニを評論家などへ貸し出すというアイデアは、技術者のローレンス・ポメロイ氏が発案した。アレック・イシゴニス氏主催のディナー・パーティの後で。彼は影響力を持つ自動車ライターでもあり、BMCのデザイナーとは友人関係にあった。

ポメロイは、エンジンと潤滑系を共有するトランスミッションを備えた前輪駆動の新モデルが、大きな話題を呼ぶと予見した。同時に斬新さがゆえに、多くの抵抗も生まれるだろうと感じた。

そして、未知数の可能性を秘めた新しいコンセプトを広く理解してもらうには、肯定的な意見の露出が必要だという考えへ辿り着いたのだ。実際、このアイデアには投資する価値が充分にあったといえる。

ロングクロスのテストコースで8月18日から開催されたプレス向けの発表会へ並んだミニにも、今回ご紹介する1台が含まれていた可能性はある。だが、その時点でナンバーを付けていたのはオースチン・セブンだけだったというから、想像の域は超えない。

33台の多くはラリーカーのベースへ

記録によれば、このモーリス・ミニ・マイナーが981 GFCのナンバーを取得したのは9月15日。ほどなくして総勢33台のミニたちは、多くの紙面を賑わすことになる。

レーシングドライバーのロイ・サルヴァドーリ氏は、スポーティング・モータリスト誌の取材の一環として、モンツァ・サーキットで381 GFCのミニをドライブ。ジョン・クーパー氏が、BMCミニの出色の能力を目の当たりにする機会を作った。

1959年式のBMC モーリス・ミニ・マイナーとジョン・ボルスター氏
1959年式のBMC モーリス・ミニ・マイナーとジョン・ボルスター氏

ジャック・ブラバム氏やブルース・マクラーレン氏、キャロル・シェルビー氏など錚々たる顔ぶれも、広報用ミニのステアリングホイールを握っている。

AUTOCARの英国編集部へもミニはやって来た。ナンバーは667 GFCで、ツイン燃料タンクが組まれた初めてのミニだ。ロン・バーカー氏が1万2800kmの地中海沿岸チャレンジに挑んだクルマで、その時の故障や修理の様子は、文章として残されている。

12か月の貸出期間が終了すると、多くのミニはBMCの広報とコンペティション部門があったアビンドンへ返還された。33台の一部は、初期のファクトリー・ラリーカーのベースとなったり、その部品取りに用いられたと考えられる。

そんな中で、クリッパー・ブルーに塗られた981 GFCのモーリス・ミニ・マイナーは、オートスポーツ誌の技術ライターだったジョン・ボルスター氏へ貸し出された。彼も、発売前のディナーパーティにゲストとして招待されていた。ポメロイと同様に。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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