【9.4L V12の最高傑作】1935年製 イスパノ・スイザJ12 美しい姿に隠す力強さ 後編

公開 : 2021.10.23 17:45

当時のデザイン力と技術力を結集させた最高傑作といえる、イスパノ・スイザJ12。カロッツェリア、ヴァンヴァーレンによる優雅なドロップヘッドを、英国編集部がご紹介します。

8台のみのドロップヘッド

執筆:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
撮影:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
さて、今回ご紹介するイスパノ・スイザJ12は、ヴァンヴァーレン社のボディをまとう1935年製。現オーナーのピーター・マリン氏とメルル・マリン氏夫妻が念入りに調査したものの、初代オーナーは不明だという。

推測では、当初はコーチビルダーのフェルナンデス・ダリン社によるリムジン・ボディが載せられていたようだ。だが、すぐにパリ郊外にワークショップを構えるヴァンヴァーレン社へ運ばれ、オープンボディのドロップヘッドに生まれ変わった。

イスパノ・スイザJ12 ヴァンヴァーレン・ドロップヘッド(1935年)
イスパノ・スイザJ12 ヴァンヴァーレン・ドロップヘッド(1935年)

ヴァンヴァーレン社が手掛けたJ12のドロップヘッドは8台のみ。その1台となる。

1910年にアシレ・ヴァンヴァーレン氏が創業させたカロッツェリアは、1919年にマリウス・ダステ氏が買収。サイレントブロックと呼ばれるボディ構造を開発し、多くの特許を取得した。

しばらくしてダステはイスパノ・スイザの自動車部門トップへ移籍するが、ヴァンヴァーレンはコーチビルダーとして事業を継続。オープンボディのスタイリングを得意とした。

記録によれば、このドロップヘッドクーペのJ12は、パリ郊外のラボラトリー、ティラージュ・シネマトログラフィ社名義で1937年に登録されている。ジャン・ルノワールの作品を含む、戦前のフランス映画を複数仕上げた場所だ。

フィルム・ラボラトリーが高価なクルマをどのように取得したのかは不明だが、その後はカリフォルニアへ移動。1950年代にロサンゼルスの中古車販売店で発見され、リチャード・ペイン氏のコレクションに加わる。

美しくよみがえった壮観なボディ

ペインはスウェーデンのサーブをアメリカへ輸入した1人であり、自動車ディーラーとして成功。シールコーブ自動車博物館を創設し、輝かしい時代のクルマと並んでJ12を展示した。

カーコレクターのジョン・モーツァルト氏から魅力的な取り引き提案があり、J12は西海岸へ移動。モーツァルトはJ12のレストアを決意し、カリフォルニアに拠点を置く専門家のフィル・ライリー氏へエンジンのリビルドを依頼する。

イスパノ・スイザJ12 ヴァンヴァーレン・ドロップヘッド(1935年)
イスパノ・スイザJ12 ヴァンヴァーレン・ドロップヘッド(1935年)

ボディはダークブルーで塗り直され、ヴァンヴァーレンの壮観なボディは美しく復活。ペブルビーチ・コンクール・デレガンスにも、何度も出展されている。そして1992年、現オーナーのピーター・マリン氏が購入した。

現在、J12はカリフォルニア州に夫妻が建設した、見事なミュージアムに安住している。コンクール・オブ・アメリカのデザイナーズ・チョイスや、モンテシト・コンクール・デレガンスでのベスト・オブ・ショーなど、多くの受賞も毎回のように掴んでいる。

ちなみにAUTOCARでは1934年にイスパノ・スイザへ試乗。「素晴らしいクルマです。驚異的な加速力を備え、パフォーマンスは扱いやすい」。と高く評価。ブルックランズでの試験でも、見事な結果を残している。

家具デザイナーでイスパノ・スイザ・ソサエティ会長を努めたジュール・ヒューマンも、J12の大ファンだった。カルロ・フェリーチェ・トロッシ氏が乗った11.3Lのショートシャシー版J12を含む、多くのイスパノ・スイザを所有していた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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