ベントレーS1コンチネンタル・ジェームス・ヤング4ドア レストアで第二の人生 前編

公開 : 2021.12.04 07:05

コーチビルダー、ジェームス・ヤング社によるベントレー。見事にレストアされた1台を英国編集部がご紹介します。

数か月でシャシーとボディを分離

一度バラバラになったモノを元の状態に修復する作業は、簡単なことではない。まして、1950年代のベントレーS1コンチネンタルなら、尚のこと。

とある英国人、マシュー・リース氏は、昨年までベントレーの専門家ではなかった。だが、事前の知識の薄さと、実直な性格が、レストアの日々への入口を開いた。しかもベントレーに触れるほど、仕事への熱意は高まっていったようだ。

ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドア(1957〜1959年/英国仕様)
ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドア(1957〜1959年/英国仕様)

筆者の20年来の友人の1人、アーニー・ウォレンダー氏は、デイムラー・マジェスティック・メイジャーを愛するという共通の気持ちを持っている。彼はある日、英国のコーチビルダー、ジェームズ・ヤング社がボディを手掛けた、S1コンチネンタルを手に入れた。

HJミュリナー社がボディを手掛けた、フライングスパーより安かったという理由で。だが、ベントレーを楽しんでいるうちに、サイドシルの塗装にできた気泡が目に付くようになったらしい。

シャシーやボディの構造に問題ないとはわかっていたが、ウォレンダーは分解することに決めた。3オーナーで走行距離5万kmにも満たない、状態の良さを確かめるように。

事業に成功していたウォレンダーは、霊柩車のようなブラックの塗装が好きではなかった。ボディを塗り替える、またとない機会とも考えた。

大きなコンチネンタルをバラバラにし始め、数か月でシャシーとボディを分離。シャシーには、エンジンやドライブトレインが残されたまま。ボディからはガラスや内装トリムが外され、元の塗装も剥がされた。

すぐに意気投合しレストアを決めた2人

ところが、他のコレクションにも手が掛かるようになり、ベントレーは放置されてしまう。筆者がウォレンダーにリースを紹介しなければ、分解されたS1コンチネンタルは彼の納屋で眠っていたことだろう。立体ジグソーパズルのように。

大手製造会社で技術者を務め、経営にも関わっていたリースは、論理的かつ実務的にレストアを進めていった。長年勤めた企業で培った、コスト管理という意識も役に立っていたのだと思う。

ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドアのレストア作業の様子
ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドアのレストア作業の様子

その頃のリースは、BMW 635CSiのレストアを仕上げたばかり。出世から趣味へ人生を切り替えたタイミングでもあり、彼ならジェームズ・ヤングのボディを元に戻せるはずと、筆者は考えたのだ。技術も確かだし、経済的な余裕もある。

リースはウォレンダーのガレージを訪ね、全体の状態を確認した。面会した2人はすぐに意気投合し、お互いが幸せになる方法を話し合った。ほどなくして、S1コンチネンタルは英国西部のウェールズ地方に住む、リースの自宅へ旅立った。

「最初の課題は、色々なパーツが詰め込まれた16個の箱と、大きな部品が載ったままのボディとシャシーを整理すること。44個の箱に整理し直しましたが、それだけで10日も掛かりましたよ」。とリースが振り返る。

ウォレンダーは、少しせっかちに作業を進めたのかもしれない。見つからない部品も出てきた。「ラジエターグリルを外すまで、ベントレーのエンブレムはどこにもありませんでした。すべて外され、1つの箱に詰め込まれていたんです」

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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