誰も知らないスーパーカー 50選 前編 ひっそりと消えた不運な珍車・名車
公開 : 2021.11.27 06:05
誰もが夢見るスーパーカー。ですが、世の中には脚光を浴びることなく消えていったモデルが数多く存在します。
もくじ
ー夢のままに終わったスーパーカーたち
ーモンテヴェルディ・ハイ(1970年)
ーアーガイルGT(1976年)
ーパンサー・シックス(1977年)
ー童夢・零(1978年)
ーアストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
ーウォルフレース・ソニック(1981年)
ーコディアックF1(1983年)
ーイスデラ・インペラートル(1984年)
ーチゼータV16(1989年)
ージオット・キャスピタ(1989年)
ーベクターW8(1989年)
ージャガーXJR-15(1990年)
ーマセラティ・チュバスコ(1990年)
ータトラMTX-4 RS(1990年)
ービッター・タスコ(1991年)
ーシュパン962CR(1991年)
ーMCAセンテナーレ(1992年)
ーシュピースTC522(1992年)
ーヤマハOX99-11(1992年)
ーダウアー962(1993年)
ーイズデラ・コメンダトーレ112i(1993年)
ーリスター・ストーム(1993年)
ージリアート・アエローザ(1994年)
ーベンチュリー400GT(1994年)
ーヒメネス・ノヴィア(1995年)
夢のままに終わったスーパーカーたち
大金を投じて超高級車を購入するのであれば、そのクルマには価格相応の「ブランド」を期待するものだ。どんなクルマを買うときでも、ブランドはある程度重視されるものだが、スーパーカーに限って言えば極めて重要なものなのだ。
過去数十年の間に、スーパーカーを世に送り出そうとして新しいブランドが次々と誕生したが、長く存続した例はほとんどない。数多のスーパーカーブランドが誕生しては消えていった。今回は、そんな失敗作の一部を紹介する。
クルマ自体がどれだけ優れていても、時期や資金、競合、市場、運など、さまざま理由で日の目を見ることなく姿を消すことがある。たまには彼らのことを思い出し、機会があれば会いに行くのもいいだろう。街中ですれ違うことはまずないだろうが、博物館やイベント、レースなどで出会えることもある。
モンテヴェルディ・ハイ(1970年)
高級スーパーカーといえば、モンテヴェルディ・ハイ(Monteverdi Hai)ほどレアなものはない。故ペーター・モンテヴェルディがデザインしたこのクルマは、わずか2台しか製造されなかった。
クライスラーの7.0L V8ヘミエンジンを搭載し、最高出力456ps、最高速度290km/hを発揮するようにチューニングされていた。エアコンやレザートリムなどを装備した豪華なスーパーカーであったが、製造品質が十分ではなかった。
ちなみに車名のハイとは、ドイツ語で「鮫」を意味する。
アーガイルGT(1976年)
1976年、ボブ・ヘンダーソンがスコットランドでスーパーカーを作ろうとしたときは、オイルショックで計画がすぐに頓挫するとは思いもしなかっただろう。プロジェクトが本格的に始動するのは1977年、最初の個体が完成するのは1984年になってからだ。
その頃には、予定されていたV8ツインターボが2664ccのV6ターボに格下げされたため、顧客は興味を失ってしまったのである。
パンサー・シックス(1977年)
1970年代後半、血中ガソリン濃度が高めの少年の部屋には、この狂ったハイパーカーのポスターが貼られていた。6輪のレイアウトとキャデラック製8.2L V8ツインターボを後部に搭載したこのクルマは、まさにクレイジーなモンスターであった。
わずか2台しか製造されず、それぞれが最高速度320km/hの性能を持っていたとされるが、誰もそれを確認することができていない。1台はレストアされて欧州に現存するが、もう1台(モーターショー用)は数年前に姿を消し、中東のどこかに潜んでいると言われている。