誰も知らないスーパーカー 50選 後編 ひっそりと消えた不運な珍車・名車
公開 : 2021.11.27 06:25
誰もが夢見るスーパーカー。ですが、世の中には脚光を浴びることなく消えていったモデルが数多く存在します。
もくじ
ーローテックC1000(1995年)
ースペクターR42(1995年)
ーTVRセルベラ・スピード12(1996年)
ー日産R390(1997年)
ーフォルクスワーゲンW12(1997年)
ーパラディン525S(2000年)
ークヴェール・マングスタ(1999年)
ーサリーンS7(2000年)
ーBエンジニアリング・エドニス(2001年)
ーモスラーMT900(2001年)
ーララキ・フルグラ(2002年)
ーインビクタS1(2003年)
ーアスカリKZ-1(2004年)
ーブリストル・ファイター(2004年)
ージョスJP1(2004年)
ーローテック・シリウス(2004年)
ーグンペルト・アポロ(2005年)
ーバラバスTKR(2006年)
ーSSCアルティメット・エアロ(2007年)
ーウェーバー・ファスター・ワン(2008年)
ーロン・スコーピオン(2009年)
ースパイカーC12ザガート(2009年)
ーダガーGT(2010年)
ーエクサゴン・ファーティヴe-GT(2010年)
ーアイコナ・ヴルカーノ(2013年)
ローテックC1000(1995年)
1990年代初頭、多くのスーパーカーが市場に登場する中、ある石油王は他の誰も手に入れることができないものを所有したいと考え、メルセデスにワンオフのハイパーカーの製作を依頼した。
メルセデスは、スーパーカーのスペシャリストであるローテックに、それに見合った速いクルマを作ってほしいと依頼し、生まれたのがC1000である。C1000は、メルセデス製の5.6L V8ツインターボエンジンを搭載し、車名の由来となった1000psを発揮する。
最高速度は430km/hと言われていたが、実際には検証されていない。しかし、レース仕様のシャシーとカーボンファイバー製のボディシェルを備え、名前から想像される以上にハイテクなマシンとなっていた。
スペクターR42(1995年)
GTディベロップメント社は、フォードGT40を美しく再現したことで知られていたため、 R42を開発したときも高い評価を得た。しかし、たった1台の試作車が作られただけで同社は倒産し、プロジェクトは米国のスペクター社に売却された。
4.6LのクアッドカムV8を搭載したこのクルマは、ディテールが不十分だったとしても、確かにそれらしく見えた。スペクターは年間200台の生産を目標にしていると豪語していたが、実際には23台にとどまり、結局倒産してしまった。
TVRセルベラ・スピード12(1996年)
1996年のバーミンガム・モーターショーでプロジェクト7/12として発表されたこのマシンは、7.7L V12エンジンを搭載し、最高出力890psを誇る世界最速の公道仕様車になることを目指していた。当初はGT1向けのレースマシンとして計画されたが、公道走行も可能であったため、1998年に「スピード12」と改称された。
しかし、レースのレギュレーションが変わり、TVRの経営陣はスピード12は公道では速すぎると考えた。1000kgの車重と適切なセッティングがあれば、380km/h以上のスピードを出すことが可能とされていたが、TVRは未熟なドライバーに売るつもりがなかったため、このプロジェクトは露と消えた。
日産R390(1997年)
R390は、日産がル・マン24時間レースでの優勝を目指していたことから生まれた。プロジェクトがスタートした当時、日本車でル・マンを制したのはマツダだけだった。
しかし、日産はル・マンを制覇することはできず、市販用のR390は1台しか作られなかった。3.5L V8ツインターボを搭載し、最高出力650ps、最高速度354km/hを発揮するこの個体は、現在も日産が所有している。後にジャガーのデザイン担当となるイアン・カラムも開発に携わった。