美声で吠えかかる マクラーレン765LTスパイダー 手なづけたい最新ロングテール

公開 : 2021.12.03 19:26

マクラーレン765LTスパイダーを試乗。最新のロングテールはオープンモデル。スペインの田舎道とサーキットを、まる二日間走ると、第一印象とは異なる一面が見えてきました。

ロングテールのレシピとは

マクラーレンLTシリーズの源流を遡ると、1990年代のFIA GT選手権を戦ったマクラーレンF1 GTRに辿り着く。

当初はロードゴーイングスポーツカーをルーツに持つ車両のみが参戦できるチャンピオンシップだったが、競争の激化に伴い、まずはレーシングカーを作り、そこに“無理やりナンバーをつける”メーカーが登場し始めると、レーシングカーのパフォーマンスは一気に急上昇。

世界で限定765台となる最新ロングテール、それが765LTスパイダー。スペインの公道とナバラのコースを走り込んできた。
世界で限定765台となる最新ロングテール、それが765LTスパイダー。スペインの公道とナバラのコースを走り込んできた。

もともと純然たるロードカーとして開発されたマクラーレンF1では到底歯が立たない状況となった。

ただし、だからといってすごすごと引き下がることを快しとしなかった彼らは、1997年にボディの全長を大幅に伸ばしてエアロダイナミクスを飛躍的に改善したモデルを投入。GTレースの精神を蔑ろにするライバルを相手に、11戦中5勝を挙げて名門F1チームとしての誇りを見せつけた。

そして、この年のボディを延長したマクラーレンF1のことを、後にロングテールと呼ぶようになったことからLT伝説は始まったのである。

LTの名を最初に用いたマクラーレン・ロードカーは、2015年に発表された675LTだった。

これは、当時の主力モデルだった650Sをベースに、LTシリーズ特有のモディファイを施したもので、クーペとスパイダーの2タイプを用意。同様の手法で、570Sをベースに600LTが誕生したのは2018年のことだった。

そしてLTシリーズの第3弾が765LTで、そのコンバーチブル版がここで紹介する765LTスパイダーというわけだ。

LTに用いられるレシピは、675LTの時代から基本的に変わっていない。

それらは、1)エアロダイナミクスの進化、2)軽量化、3)エンジンのパワーアップ、4)サスペンションの強化、5)限定販売、の5つに大別できる。では、これが765LTにどう息づいているのか、順を追ってご説明しよう。

注目は、パワーと最終減速比

まずはエアロダイナミクスの進化。ある意味で、LTシリーズにとっては、これがもっとも重要なポイントといえる。

なにしろ、もともとLT=ロングテールが誕生したのは、エアロダイナミクスを進化させることが最大の目的だったのだから。

0-100km/h加速2.8秒。0-200km/h加速7.2秒。カーボン製のアクティブウイングを展開しコースを攻めるロングテール。
0-100km/h加速2.8秒。0-200km/h加速7.2秒。カーボン製のアクティブウイングを展開しコースを攻めるロングテール。

765LTでは、ベースとなった720Sに対して全長を57mm延長したうえで、リアウィングの面積を20%拡大。さらにフロントには大型スプリッターを装着し、リアディフューザーのサイズを拡大することで空力性能を改善した。

その効果は顕著で、ダウンフォースは720Sに対して25%も増えたという。

軽量化については、カーボンコンポジット製のボディパーツを多用するとともに、エグゾーストシステムをスチール製からチタン製に変更。くわえて、超軽量の専用鍛造ホイールを採用することで54kgものダイエットを果たした。

エンジンパワーの進化はモデル名に表れているとおりで、ベースモデルの720psから765psに増強。トルクも78.5kg-mから81.6kg-mへと強化されている。

それとともに注目されるのが、ファイナルレシオを15%落としたこと。その相乗効果としてトップエンドのダッシュ力が鋭くなったことは容易に想像できる。

サスペンション関連では720Sよりもハードなスプリングを採用するとともに、アクティブサスペンション“PCC II”のソフトウェアを徹底的に熟成。さらに標準装備のタイヤをピレリPゼロからPゼロ・トロフェオRに替えることでスポーツ性を一段と向上させた。

最後の限定生産については、765LTクーペに続いて765LTスパイダーも全世界765台限定とされた。ちなみに、765LTクーペはすでに完売しているので、765LTスパイダーの争奪戦もすでに始まっていると捉えたほうがよさそうだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 編集

    徳永徹

    Tetsu Tokunaga

    1975年生まれ。2013年にCLASSIC & SPORTS CAR日本版創刊号の製作に関わったあと、AUTOCAR JAPAN編集部に加わる。クルマ遊びは、新車購入よりも、格安中古車を手に入れ、パテ盛り、コンパウンド磨きで仕上げるのがモットー。ただし不器用。

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