東欧の奇妙なクルマ 21選 共産圏が生んだ名車・珍車・迷車、どれだけ知ってる?
公開 : 2021.12.12 06:05
ロシア、チェコ、旧ユーゴなど東欧諸国のカオスな自動車ワールドへようこそ。人気車から無名車まで21台紹介。
もくじ
ー鉄のカーテンの向こう側で
ーザスタバ750(1955年)
ータトラ603(1956年)
ースコダ1000MB(1964年)
ートラバント601(1964年)
ーヴァルトブルク353(1966年)
ーZAZ 966(1966年)
ーダチア1300(1969年)
ーラーダ2101(1970年)
ースコダ110R(1970年)
ーザスタバ・スカーラ(1971年)
ーポルスキ・フィアット126p(1973年)
ーラーダ・ニーヴァ(1977年)
ーオルトシット(1981年)
ーダチア・スポーツ(1983年)
ーラーダ・スプートニク/サマーラ(1984年)
ーユーゴ(1985年)
ーダチアMD87(1987年)
ースコダ・ファヴォリット(1987年)
ーヴァルトブルグ1.3(1988年)
ートラバント1.1(1990年)
ーラーダ111ターザン2(1999年)
鉄のカーテンの向こう側で
「トラバント」や「ラーダ」のような話題性のあるクルマは、東欧やロシアにおける自動車史の氷山の一角に過ぎない。
国営の自動車メーカーは、限られた資金を活用して、小型の乗用車、オフローダー、業務用のバンなど、何百万人ものドライバーにクルマを提供したのである。海外市場を獲得するためにデザインに力を入れる企業もあれば、レースに強い関心を持ち、経験豊富なライバルを打ち負かす企業もあった。
イタリアの遺伝子を受け継いだハッチバックから、実験的なミドエンジン・クーペまで、東欧・ロシアの自動車産業で生まれたヒット作、失敗作、そして奇妙なクルマを紹介しよう。
ザスタバ750(1955年)
旧ユーゴスラビアのザスタバが、イタリアのフィアットとコラボレーションを組んだのは、1954年に1400の製造を開始したときだ。比較的大きくて高価な1400は、旧ユーゴでは買い手が少なかった。そこでザスタバは、当時新発売のフィアット600の製造ライセンスを取得し、現地での販売を開始した。
初期のモデルは、イタリアから輸送された部品を使って製造されていたが、やがて安価でシンプルなクルマを求める現地の需要に応えるため、ゼロから作るようになった。
600はザスタバの管理下で何度か改良されたが、セアトがスペインで生み出した4ドアボディのような極端なものはなかった。このモデルは、最終的には排気量848ccの4気筒エンジンを搭載して32psを発揮し、0-100km/h加速を29.4秒かけて達成した。
一方、オリジナルの21.5psの600は、0-100km/h加速に1分以上かかったという。
タトラ603(1956年)
チェコのタトラは、自動車デザインの歴史にその名を刻むことになった。1956年に発表された603は、現在の基準でも空気力学的に優れたボディと、空冷V8エンジンをキャビンの後ろに搭載したことが特徴的な、長い歴史の中で最も先進的なクルマの1つである。
東欧では、タトラ603は早朝に家の前に停まっていてほしくないようなクルマだった。なぜなら、主に役人が使用していたからだ。タトラは一部を輸出していたため、フィデル・カストロはエアコンを装着した白いモデルを手に入れたと言われている。
スコダ1000MB(1964年)
チェコの自動車メーカー、スコダが1000MBの開発に着手したのは、西欧市場を見据えてのことであった。フォルクスワーゲン・ビートル、ルノー8、フィアット600など、西欧の大衆車にはリアにエンジンを搭載したものが多い。
スコダはフロントエンジン・前輪駆動、フロントエンジン・後輪駆動の試作車を作ってみたが、最終的にはリアエンジン・後輪駆動に落ち着いた。前輪駆動は斬新すぎるし、後輪駆動は老朽化したオクタヴィアに近すぎるという理由で採用されなかった。
1000MBは1969年に生産を終了。その後もスコダは1990年までリアエンジン車を作り続けた。